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トナンの仕事
書籍・雑誌など
有限会社トナン
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「楷書」の青山杉雨さんのページ。半紙の比率の枠のちょうど良いところに字を入れるのが意外にむずかしい
読売書法講座(全十巻)1988 ∼ 1993
大熊が道吉デザイン研究室で修行していたときに担当になり、フリーランスになった後も大
熊が担当することになった。全十巻を拵えるのに 5 年かかった。
青山杉雨、村上三島、小林斗 、杉岡華邨、成瀬映山、淺見筧洞、今井凌雪、梅原清山、栗原蘆水、
高木聖鶴、日比野光鳳、古谷蒼韻(敬称略)などのお歴々と直接打ち合わせをした。特に青
山杉雨さんとは、たびたびお目にかかり、お宅にうかがい食事をご馳走になったり、晩年は、
闘病中の病室で校正を見ていただいた。その直後、青山さんは文化勲章を受章した。
組版設計・本文デザイン・装丁:道吉剛 / 大熊肇(tonan)
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「篆書・隷書」の隷書の書き方のページ。書は谷村憙斎さん、赤の骨書きは大熊の手書き
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Let's Talk about
Mundane Affairs
些事を語ろう
矢島峰月作品集に寄せて
Comments about "A Collection of
Calligraphic Works by Yajima Hogetsu"
石川九楊
Ishikawa Kyuyo
矢島峰月とは、彼が日書美、毎日展で活躍中に、当時僕ら
ゆうげつ
ひひょう
しみゃく
が出版していた『由蘖』
『批評』
『思脈』という雑誌を媒介に
知り合った。実際に顔を合わせることになった仲介者は光琳
堂・山口光政である。以来15年以上に渡り、彼の主宰する毎
月1回、月例の研究会で書について講じ、語り合っている書
友である。
若くして書壇に登場し、あまりにも早く書壇を知り、その
行末を察知してしまったせいか、矢島は1979年、数人の仲間
と共に日書美、毎日展を脱退した。端から見ていて少々唐突
にも思え、
「辞めなくてもいいのになァ」という感想はあった。
もうその頃は僕は、書壇に属していようといまいと大した問
題ではないと思っていたのだが、彼らには脱退することが新
しい出発として不可避の行動だったようだ。退会は同時に
師・伊藤崇山との訣別を意味した。師のもとを去る時の大き
な苦渋について、何年か後に聞いたことがある。
そうめい
そうめいしゃ
現在は雑誌『蒼溟』を刊行する「蒼溟社」を拠点に、その
主宰者として習字教育に一石を投じている。習字教育をおろ
そかにせず、そこに書への思いを注ぎこんでいる。雑誌に掲
載される参考手本の主たる部分は必ず自らが筆をとる。しか
きゅうせいきゅうれいせん
も、書の歴史に根拠をもつべしという考えから、
『九成宮醴泉
めい
銘』をモデルに、筆蝕の張りつめた端正な手本である。信頼
できる教育機関だから、僕の書塾生が開塾を希望した時には、
必ず蒼溟社への参加を奨め、その下で習字教育に携わるよう
に指導している。
矢島峰月は、書がよく解り、書のよく見える書家である。目
りくちょうしょぎょうしょ
の覚めるような示唆を受けることも少なくない。
「六朝書行書
矢島峰月の書 1995 芸術新聞社
尊敬する書家・矢島峰月さんの作品集。パリで行われた個展にも同行させていただいた。
石川九楊さんが書評を寄せている。
編集・組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
テキスト入力・校正:中妻祐子(tonan)
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ろん
論」などは彼からの指摘によるものだ。その矢島峰月が、近
年発表してきた作品からなる作品集をつくるのだという。こ
れを機会に、彼の作品を見直してみた。
* * *
作品集でどれだけ伝わるか解らぬが、矢島の書はとても気
宇の大きな書である。馬力のある筆蝕、大胆な構成、それで
I first came to know Yajima Hogetsu's name
through the media of sho magazines (sho stands for
calligraphy) such as Yugetsu, Hihyo, and Shimyaku,
in whose publication my group was engaged. In those
days he was actively involved in Nisshobi (Japan
Calligraphic Art Institute) and Mainichi-ten (The
Mainichi Press-sponsored Exhibition). Actually I got
to meet him through the introduction of Yamaguchi
Mitsumasa, of Korin-do. For more than 15 years since
then, we have been meeting each other at the monthly
seminars chaired by him, where I have been giving
lectures and having various discussions with this calligraphy friend. He rose in the shodan (calligraphy
circles) early in his career, and perhaps because he
had foresight into the future of the shodan, he withdrew in 1979 from Nisshobi and Mainichi-ten together with several colleagues. It seemed a rather abrupt
move to us. My impression then was that he might
have gone too far. In those days I had the notion that
having membership with a certain calligraphy organization is a matter of little significance, but the withdrawal was likely an inevitable action to them in order
to make their start a worthwhile one. The withdrawal
meant a departure from his master, Ito Suzan, and
some years later I remember hearing from him about
his anguish at that time.
At present, based at Somei-sha, which publishes a
periodical, Somei, he works on teaching calligraphy,
too ; without slighting the calligraphy education, he is
putting his mind into it. Actually he writes important
tehon (reference models) himself and contributes to
the magazine. According to his opinion that s h o
should have the basis in its history, he writes tehon
using Kyuseikyu Reisen-mei (633 A.D.) as a modeltehon in his hisshoku with handsomeness as well as
fullness (hisshoku stands for the touch of writing created by the combined workings of power, pressure,
rhythm, speed, depth, etc. which are imparted by the
writer at the time of writing). Because it is a reliable
educational institute, I make it a rule to recommend
that, when any of our students at our school desires to
open his or her juku (private tutoring school), that he
or she join the Somei-sha school and engage in sho
education under its wing.
Yajima Hogetsu is a shoka (calligrapher) with a
good grasp and appreciation of sho. On occasions I
get my eyes opened by his words or opinions. The
Rikucho-sho Gyosho Theory (Rikucho Period, 5th6th centuries) was one such opinion. I was told that
いて書線は熟し、つややかである。作品を見て「うまいなァ」
と感心することも多い。しかし、これでいいのだという安心
感をもてず、一抹の危なっかしさを感じることもまた確かで
ある。それは何故なのだろうか。
矢島の書、とりわけその書を象徴する最大のものは筆蝕の
極限を定着しようとする意志であろう。筆鋒を極限まで圧し
開き、対象をさぐり、根こそぎ掘り返す。かと思えば、筆尖
だけで表面に少し切り込み、筋をつけるような筆蝕が同居し
ていて、両者が混在したり、交互に出現したりするのだ。極
を知る書道家は少ない。その中で矢島は際立っている。
根こそぎ掘り起こし掘り返すことと、細い筋目を入れるこ
ととの両極を武器に矢島は世界と闘うわけだが、この両極を
もつことが矢島の作品の最大の長所であり、時にはそれが短
所ともなっている。
おそらく矢島は両極の手応えから、筆蝕の奥行き、深さ、
そのサイズを感じとっている。だが、世界=対象の深さと性
質はつかみようがないほど複雑であり、微妙である。把えた
と思った時から対象=世界は逃げているのだから、それを探
りあてるためには、細大の用意を持ち、あらゆる手法を注ぎ
こんで世界=対象を把えることが必要だ。しかし、言うまで
もなく、書にせよ何にせよ、その内実は、両極にではなく、
その中間地帯にこそある。
怠惰な書道家はその中間のどこかを描いてみせることはあ
ってもその両極の存在を知らぬ。矢島の書は両極を知る点で、
月並の書道家を凌駕しているが、その中間をなぜか避けてい
るように見える。僕の考えでは、おそらく矢島はこの中間帯
を、習字帯域と考え、習字の参考手本による表現でこの帯域
を埋めているからだと思われる。矢島の中間帯域、つまり日
常は書道の指導書にあり、書の歴史を問い、それを考察し、
歴史的正系の書を伝えることにある。ところが、いったん制
作に向かった時、その自己のあり方に否定的になるのではな
かろうか。それが制作の時に筆蝕を両極の極端に走らせる。
この時、両極は、中間帯域を豊穣にするというよりも、中間
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Yajima Hogetsu, with the background as mentioned
above, is going to publish a collection of his works
done in recent years. I have taken this opportunity to
review his past works.
*
*
*
While I am not certain how well it could communicate to people, his sho is of a grand scale, being of
powerful hisshoku and bold composition, but yet with
well matured and freshly rich lines. Often I am
impressed with his good hand; however, on the other
hand, it is true that I cannot feel fully comfortable
with his sho, but feel a shade of uneasiness. Why is it,
I wonder.
The strongest feature in Yajima's sho is in his will to
pursue the extreme limits of hisshoku――push forward to the extremes, search them, and uproot their
bases. At times, on the other hand, he writes as if to
incise the surface lightly with the tip of the brush and
score lines. His sho is a mixture of these different
hisshoku or sometimes their alternate appearances.
Only few shodoka (calligrapher) have a grasp and
understanding of the extremes-Yajima is outstanding
in that respect. The uprooting and the incising of light
lines――using these two extremes as a weapon, he
struggles with the world. Having these extremes is his
best feature, but at times it becomes his shortcoming.
Yajima may have the feeling that he is getting to the
quintessence of hisshoku by feeling out its size, length
and depth. But he should realize that the depth and
true nature of the world or the object is inscrutably
intricate and delicate. To get to it he must use every
possible means of approach. He should be aware that,
the moment he thinks he has it, it could slip out of his
hand――the truth is that elusive. Needless to say,
however, whether in sho or any other subject, the
truth lies somewhere in the intermediate zone. Lazy
shodoka can write sho belonging to the intermediate
zone, but do not know the existence of the two
extremes. Yajima exceeds other mediocre shodoka in
the grasp and understanding of the extremes, but it
seems to me that he is shunning the intermediate
zone.
Why? It is my thought he is considering the zone as
the shuji area (shuji stands for practicing sho), thus
being content with expressions made through tehon.
The intermediate zone, in his notion, it is in everyday
tehon and teaching, and what's more, is pursuing,
observing, and passing on the historically orthodox
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※昔のデータなので OCF フォントの再現が忠実ではありません
5
「篆刻墨場必携」 矢島峰月編著 日貿出版社 1990
「吉語墨場必携」 矢島峰月編著 日貿出版社 1995
「福語墨場必携」 矢島峰月編著 日貿出版社 2001
「禅語墨場必携」 矢島峰月編著 日貿出版社 2004
装丁:大熊肇(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
らくらく筆ぺん入門 矢島峰月著 日貿出版社 1988
17 年経っても売れ続けているロングセラー。右ページの 4 点もすべて重版出来。
装丁:大熊肇(tonan)
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装丁:大熊肇(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
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C D -R O M の使用方法
コピーサイズ切り替え
③種類別表示
毛筆書鑑「象」は M a c i n t o s h
と W i n d o w s の両環境でご利
用いただける書体辞典・ロイ
種類別表示の中の文字をクリックすると
④のプレビューに表示される。
LかMをクリックすると切り替わる。
(Windowsでは、ディスクA はLサイズ
のみ、ディスクBはMサイズのみ収録)
クレジット表示
クリックすると、書家や製作ス
タッフのクレジットを表示。
ヤリティーフリー素材集です。
各種ファイル形式のデータが
ディスクA 、ディスクB の2
枚のディスクに収録されてい
⑥コピー
④のプレビューに表示されてい
る文字のみコピーされる。
任意の場所へコピーする。
ます。下記のファイル形式を
扱えるアプリケーション上で
ご使用ください。
④プレビュー
ダブルクリックするとフル画面
表示される。
戻る/送る
①50音検索
クリックすると、④のプレビュ
ー中の文字が順番に変わる。
呼び出したい文字の音読み又は訓読
みの1音目をクリックすると②の漢字
選択に漢字が表示される。
オートボタン
クリックすると、④のプレビュ
ー中の文字が順番に変わる。
②漢字選択
漢字を選びクリックすると、③の種
類別表示に表示される。
⑤ストック
③の種類別表示の文字を、マッ
クは〈O P T I O N 〉を、ウイン
ドウズは〈A LT 〉又は
〈G R P H 〉を押しながらドラッ
グして置く。更に、ストックさ
れた文字をダブルクリックする
と、④のプレビューがその文字
の種類に変わる。
文字の成り立ち
終了
Macintoshコピー可能データ
Lサイズ JPE G 2000×2000∼3200×3500ppi(350dpi) ★ディスクA
Mサイズ PIC T 640×480ppi (72dpi)
★ディスクA
Windowsコピー可能データ
Lサイズ JPE G 2000×2000∼3200×3500ppi(350dpi) ★ディスクA
Mサイズ BMP 640×480ppi (72dpi)
★ディスクB
(Lサイズは文字によってサイズが異なります)
効果音のオン・オフ
ヘルプ画面表示
クリックするとヘルプ画面が表示される。
ヘルプ画面の一部をクリックすると元の
画面に戻る。
5
筆使いは1日にして成らず
パーソナルコンピュータやワードプロセッサが普及した昨今、巷間ではそれと比例する
かのように筆文字が多用されている。だが、それらの多くは陳腐で見るに耐えないものだ。
こと
中でも、書の素人が面白おかしく書いたものは殊に醜いものが多いような気がする。数千
にじ
まか
年にも及ぶ書の歴史を踏み躙るような文字が平気で罷り通っているのが現状である。これ
は、書を専門にしている書家にとって甚だ残念な現象であり、腑甲斐無い思いもする。
今ここで、なにげなく
「筆文字」
という言葉を使っているが、これもおかしなものだ。か
つて、文字は筆で書くのが当たり前だったからである。現代では筆で文字を書く行為自体
特殊なものになってしまった。現在使われているほとんどの活字やフォントは筆文字をモ
デルにして作られているが、中には文字の歴史や骨格を踏まえていないものが出現しはじ
めている。
筆文字には多くの技術が結集され、筆跡には計り知れない多くの情報が含まれている。
例えば「一」という線は、起筆・送筆・収筆によって成り立っている。そして、この収筆
には筆を打ち下ろすまでの書き手の思いや迷いが振り切られ、形となっている。その時の
起筆は書き手の決意であり、打ち下ろされた角度や距離は生き方の角度とも考えられてい
る。いづれにしても筆跡には多くのドラマが宿っている。筆で文字を書くことは難しい。
弛まぬ研鑽なくして成就することはない。「筆使いは1日にしてならず」である。
今回、このC D - R O M に納めた文字も、滲み・かすれ等、情報が満載されたものになっ
ているはずである。書き手として、試み次第では面白い利用方法が発見できるものと確信
している。
1996年11月
矢島 峰月
3
【付録】矢島峰月のサイン
落款の入れ方
書が完成すると、そのしるしに署名捺印をします。それを落成款識(らくせいかんし)略して落款(らっかん)といいます。印
には姓名や雅号を刻した落款印のほかに好きな言葉を刻して好きなところに捺す押脚印(遊印)、作品の右上に捺す引首印
(関防印)があります。また、文字を彫った陰刻(白文)と文字を残して彫った陽刻(朱文)があります。
引首印(関防印)
ここから作品がはじまると
いう意味。省略してもかま
わない。
署名
通常、作品よりもややく
ずした書体で書く。省略
することもある。
毛筆書鑑 象 矢島峰月書 A&P コーディネータージャパン 1997
姓名印(白文)
雅号印(朱文)
落款印を2顆捺す場合は、
上の印を署名に近づけて
捺し、下の印は印の直径
の 1. 5 倍程度離して捺す。
通常、上の印は白文の姓
名印、下の印は朱文の雅
号印にする。1顆だけ捺す
場合は姓名・雅号、白文・
朱文のきまりはない。ま
た原則として姓名印には
姓名、あるいは名のみを
刻し、姓のみを刻さない。
コンテンツプロデューサーの飯島敬一さんと、筆文字画像の素材集を企画し、A&P コーディ
ネータージャパン(現デザインエクスチェンジ)の社長の藤井さんに直接売り込んだ。
世界初の筆文字素材集である。だが時代が早すぎたのかあまり売れなかった。
企画・構成・デザイン:大熊肇(tonan)
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※印は1顆2顆……あるいは1方2
方……と数える。
押脚印(遊印)
「ここに印があると作品の
バランスが良くなる」とい
うときに捺す。
※いろいろな印刷物で楷書
や行書のフォントを、文字
どうしが食い込むほど詰め
打ちしたものをよく見かけ
ますが、肉筆に近い書体に
は間が必要です。活字風な
表現をすれば、ベタ打ちよ
りもさらに字間を空ける位
の方がよいと思います。
8
※昔のデータなので OCF フォントの再現が忠実ではありません
「毛筆書鑑 象 別巻」
矢島峰月書 A&P コーディネータージャパン 1997
企画・構成・デザイン:大熊肇(tonan)
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アイドルぐりぐり大事典 読売新聞社 1993
テレビごくらく大事典 読売新聞社 1993
写真だとコーネル装の上製本に見えるが、厚さ 7 ∼ 8
悪ふざけして、こんなムックも作った。タイトルは中
ミリのムック。コーネル装の本を写真撮影して印刷
村不折の「いろは帖」を参考にして、ゴシック風にレ
した。
タリングした。このムック、探しているコレクターが
当時の非力な Macintosh でフル DTP に挑んだ。
いるらしい。
ちなみに大熊も著者のひとり。
コーネル装の撮影・組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
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イラスト:大田晴子 DTP 組版・装丁・題字:大熊肇(tonan)
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好評だったので、続編
が 4 冊できました。
花のおたより 菅田とも子 誠文堂新光社 2003
日本画家の菅田とも子さんとはじめてお会いしたとき、何冊か著書を拝見して、
「絵はいいけ
ど、デザインがひどいですね」と失礼なことを言ってしまった。そうしたら、
「そうなのよ、
今度本を出すときは大熊さんデザインしてくれる?」とおっしゃった。しばらくしたら、
「本
出すからデザインお願いね」というわけでこの本を拵えることに。
組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
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文
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ポーズが出そうになって、
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木
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││実際にその年の九州で初優勝し
を
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前
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許
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右
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押
し
倒
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美
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昨年から お騒がせ横綱 朝青龍の
動向に世間の耳目が集まっている。
手
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やく目標が達成できた。今回と違っ
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寄
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切
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て、一気に横綱まで駆け上がりまし
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たからね。
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﹁ そ う、 そ の 時 は 最 後 の 場 所 で よ う
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のように、明らかに落ち度のあるも
つ
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様々なバッシングが相次いだ。先代
光 。 ぶ 旭
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内
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切 引
出
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高砂親方︵元小結富士錦︶の葬儀欠席
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一
瞬
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つ
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光
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初場所も場所前から場所中にかけて
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││その千代大海戦では史上最多の
龍
握れないほどの懸賞
気分よかったよ
回
目
に
立
っ
た
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て危なかったよ︵笑い︶
﹂
� 三
朝
赤
龍
︵
寄
り
切
り
︶
琴
など、多くは目くじらを立てるほど
朝
青
龍
、
千
代
大
海
、
魁
皇
、
朝
のもあったが、私用でのスーツ着用
頭
で
当
た
り
合
っ
て
左
四
つ
、
互
のことでもないものまでオーバーに
ね。
い
に
両
ま
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か
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引
き
つ
け
合
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二十七本の懸賞金がかかりましたよ
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て
、
琴
龍
が
つ
り
身
に
な
る
と
朝
赤
報道された。しかしマスコミがあお
で
刈
り
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押 し
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出 。
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︶ 秒
若 �
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龍
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り
返
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右
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上
手
投
げ
気
赤
龍
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そ
ろ
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て
快
勝
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四
力
士
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出 琴 � さ 、 き 右 旭 雅 時 土 貴 っ 許 ろ ク 顔
佐
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千
代
大
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左
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寄
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、
さ
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に
右
上
手
か
﹁あの一番に期待してくれたファン、
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潮
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け
寄
て
り
右
倒
へ
し
寄
︶
り
春
切
日
っ
錦
た
。
�
││場所中はカゼをひいて熱もあっ
春
日
錦
が
早
す
ぎ
潮
丸
待
っ
海 た
� 。
初
日
か
ら
十
一
日
間
勝
ち
っ
放
し
と
オレにとってはいいカゼ
だったんじゃない?
和
歌
乃
山
を 達 成。 土 俵 外 の ト ラ
�
武
雄
山
︵
押
し
倒
し
︶
黒
切
り
︶
い
う
の
は
大
相
撲
史
上
初
め
て
の
快
り立てた逆風の中、朝青龍はすべて
頭
で
当
た
り
合
い
、
黒
海
が
右
ノ
�
◆
中
鵬 入
︵ り
寄 後
り ◆
露
の雑音を封印する強さを見せ、パー
桜
フェクト
若
の
里
が
右
で
か
ち
上
げ
る
と
、
思ったよ﹂
� �
�
春
ノ
山
︵
寄
り
切
り
︶
豊
感謝したい気持ちだったね。だから
千
代
大
海
は
頭
で
い
い
角
度
で
当
た
それに応えられる相撲を取りたいと
り
、
若
の
里
の
ア
ゴ
を
め
が
け
て
小
喜
は
頭
で
低
く
当
た
っ
て
左
か
ら
お
両
力
士
気
合
わ
ず
待
っ
た
。
それに懸賞をかけてくれた人たちに
っ
つ
け
、
出
島
の
引
き
に
乗
じ
て
右
� �
輪
で
出
る
と
、
武
雄
山
は
左
へ
変
千
代
天
山
�
たりして、必ずしも体調は万全では
ノ
ド
輪
か
ら
右
差
し
で
寄
り
立
て
、
っ
て
右
へ
い
な
し
、
黒
海
が
前
へ
牙
普
天
王
︵
寄
り
切
り
︶
なかったんですよね?
出
島
が
土
俵
際
か
ら
寄
り
返
す
と
、
め
っ
て
右
へ
向
き
直
る
と
こ
ろ
、
琴
ノ
若
︵
上
手
投
げ
︶
闘
﹁ 体 調 は 万 全 で な く て も、 気 持 ち 的
右
か
ら
巻
い
て
左
の
内
無
双
を
決
め
お
っ
つ
け
か
ら
右
ノ
ド
輪
で
ど
ん
�� �
た強さに対し、素直に拍手を送るフ
琴
ノ
若
は
立
ち
合
い
右
手
を
前
に
ブルの是非はともかく、その際立っ
ァンも多い。そんな大横綱への道を
栃
押
し
栄 倒
︵ し
押 た
し 。
出 �
し 秒
︶ �
金 。
開
山
感じはどうでした?
横綱
� � と 左 の わ ド
十
文
字
︵
寄
り
切
り
︶
高
見
盛
││二十七本の懸賞金を受け取った
横綱
朝青龍
立
ち
合
い
十
文
字
の
右
の
張
り
手
には万全だった。気持ちは崩さなか
とかはそうだったんじゃない﹂
司
歩み始めた 蒼きオオカミ に、どの
い︶
﹂
司
待
っ
た
、
挙
。
カ
ド
番
大
関
武
双
山
と
、
平
幕
横綱
貴乃花
出
し
た
あ
と
踏
み
込
ん
で
左
四
つ
、
琴
ノ
若
が
勝
ち
越
し
を
決
め
た
。
大関
貴乃花
� � げ が 両
朝 海 で ぶ ま
乃
完 っ わ
若 鵬 勝 て し
︵ ︵ し 寄 を
は 寄 た っ 引
た り 。 た い
き
込 切 �� あ て
み り 秒 と 上
︶ ︶ � の 手
豪
。 右 を
上 許
司 風
手 さ
� �
投 ず
ったからね。まあ、十五日間、いい
朝
乃
若
早
く
相撲が取れたから、オレにとっては
が
、
ア
ゴ
が
上
が
り
気
味
の
高
見
盛
つの目標だったんですよね?
が
早
く
朝
乃
若
が
待
っ
た
の
あ
と
、
大関
││全勝優勝は、横綱にとってひと
貴乃花
横綱
貴ノ花
間を戦い抜いたのか、
本音を聞いた。
大関
6年九
6年秋
ような心境で初場所に臨み、十五日
││琴光喜戦でのつり落としは、も
い い カ ゼ だ っ た ん じ ゃ な い の︵ 笑
ろ差しになった時点で狙ったんです
﹁入門した時からの夢だったからね。
か?
いつかはしたいと思っていたので、
││その目標を最初の場所でもう達
輪。上体を起こされた魁皇は、右から
強引な反撃を見せる。悪癖を誘い出
したような1番。
「青・赤」のコンビ
が打ち立てた策略だとしたら大したも
のだ。
今年の目標にしたんだ﹂
て
い
い
角
度
で
頭
で
低
バタバタした相撲を取らせたのか。
しかし、ほめるべきは朝赤龍。魁皇
の左足に弱点があることを見透かした
ような攻め。右からおっつけ、左ノド
たね﹂
か
ら
お
っ
つ
け
左
ノ
ド
べては左足の踏み込みのなさが招い
たことだ。立ち合い前から、どこか緊
張感があった。前頭12 枚目の全勝力
士との対戦は、やはり無敗の大関にと
っては嫌なものだ。
そんな心理状態が、
﹁持ち上げた時に挑戦しようと思っ
、
そ
の
左
腕
を
抱
え
て
とし、その勢いで自分から倒れた。す
成されたわけですね。
〝
〟
た
が
、
朝
赤
龍
が
左
を
一言で言えば魁皇の自滅だ。朝赤
龍に踏み込みを許した。相手の左ノド
輪を嫌って強引に右から払いのけよう
高く持つようにしてるんだけどね。
人
に
﹁ そ う だ ね。 目 標 と い う の は、 常 に
�
││初場所は危ない相撲が一番もな
足
が
半
歩
も
前
へ
出
ず
地位
武蔵丸
16年初
全 魁 ��
勝皇 日
レが 目
ー不
ス覚
全勝優勝は
入門した時からの夢
へ
落
ち
た
︶ 。
若 �
の 秒
里 �
� 。
力士名
��
上
手
出
し
投
げ
ガッツポーズとともに珍しく笑顔が
魁
皇
は
出ましたね?
�
││優勝が決まった千代大海戦では
︵
押
し
出
し
︶
琴
光
喜
場所
6年名
平成元年秋 千代の富士
8年秋
洋
は
左
の
肩
透
か
し
気
味
に
右
へ
出
。 、
� 剣
島 秒 が
︵ � 峰
寄 。 で
左
り
か
切
ら
り
︶
突
き
霜
落
と
鳥
し
�
平成以降の全勝記録
7年秋
� � た り
千
代
大
海
した翌年の初場所前に、オレと琴光
琴
光
喜
が
胸
で
当
た
る
と
、
千
代
琴 光 喜 が 優 勝︵ 平 成 十 三 年 秋 場 所 ︶
く、十五日間、自分の相撲が取りき
大
海
は
琴
光
喜
の
ノ
ド
元
め
が
け
て
い
て
左
四
つ
、
黒
海
が
左
下
手
を
れたんじゃないですか?
す
ご
い
ス
ピ
ー
ド
で
回
転
よ
く
突
っ
く
取
り
右
か
ら
お
っ
つ
け
て
頭
を
に怖い顔はしてられないよ。でも、
秒
け
る
と
、
右
か
ら
抱
え
、
の
ぞ
い
﹁ 優 勝 し た ん だ か ら、 い つ も の よ う
23歳10か月
喜と若の里の三人が若手有望力士と
横綱として三回優勝できたし、子供
5 北の湖
23歳3か月
んだ。その時オレは関脇だったけど
も生まれたからね。次の一年はもっ
4 朝青龍
いうことで、一年の抱負を聞かれた
と結果を出して、さらにいい年にし
23歳2か月
る時に、相手の動きが読めてた。先
たいね﹂
3 武蔵丸
22歳2か月
輩︵の横綱︶たちも、全勝した場所
││また、場所前にはダンベルを使
ることだしね﹂
22歳1か月
2 大 鵬
﹁ 集 中 で き て た ね。 相 撲 を 取 っ て い
ので、こう上から︵わしづかみにし
﹁数が多いからふつうには握れない
場所前は、片手に三十㌔ずつのダン
ってトレーニングしたとか?
て︶
取ったんだ。気分よかったよ
︵笑
本
。
朝
青
龍
待
っ
た
。
ベルを持って鍛えたんだ。あれはよ
合
い
、
朝
青
龍
は
す
ぐ
かったよ。まわしを取ってすぐに引
��
�
� � 。
左
か
ら
起
こ
し
て
寄
り
、
左
を
返
肩
で
当
た
り
、
朝
赤
龍
く
い
投
げ
に
い
き
、
残
﹁ 筋 ト レ は 苦 手 だ っ た ん だ け ど、 初
張
り
、
琴
光
喜
が
体
を
寄
せ
左
右
か
で
寄
り
、
若
の
里
が
土
かんぺき
ら
は
さ
み
つ
け
て
は
ね
上
げ
よ
う
と
り
返
す
と
、
離
れ
て
突
い︶﹂
す
る
の
を
許
さ
ず
、
距
離
を
つ
く
る
上
手
を
取
り
、
右
へ
回
││初場所の横綱は、本当に完璧な
� 手 勝 と
岩 は 。 も
木 突 � ろ
山 き 秒 ハ
︵ 出 � ズ
は し 。
た 。 協 か
き
会 ら
込
発 押
み
︶
表 し
武
の 出
決 し
双
山
ま て
り 快
�
て
左
へ
寄
り
切
っ
た
。
秒 左
� の
か 上
け 手
た 出
が し
、 投
終 げ
始 を
そ
返
し
か
ら
、
今
度
は
いろ騒がれて、土俵で答えを出して
雅
旭
天
山 鵬
︵ ︵
押 寄
し り
出 切
し り
︶ ︶
玉 北
乃 勝
島 力
ま
わ
し
を
取
っ
て
両
ま
相撲が続きましたが、場所前にいろ
込
み
に
い
き
、
武
雄
山
が
右
ハ
ズ
決 左 頭 わ 右 っ っ 俵 る に 頭
�� あ 抜 外 輪 く が
め へ を し 四 て 張 際 と 左 で 懸 朝 っ く そ に 当 一
た 回 つ を つ 右 っ か 左 か 当 賞 青 さ と う い た 瞬
。 っ け 許 、 の て ら 四 ら た 十 龍 り 、 と く り 遅
ず
、
右
下
手
を
放
し
て
スしてるんですか?
無
敗
対
決
は
魁
皇
が
敗
れ
、
朝
青
�� て る さ 両 す 右 寄 つ す り 九 ︵ 前 左 し と 右 れ 左
と
、
寄
っ
て
出
た
あ
と
ひまな時は
買い物行ったり
おむつも替えたり
と思っているんだ﹂
�
。
協
会
発
表
出
よ
う
と
し
た
瞬
間
、
左
へ
変
わ
きつけられたし⋮⋮。今後もやろう
言っても、買い物に行ったり、子供
�
秒
武
雄
山
の
右
腕
を
引
っ
か
け
て
右
やろうという気持ちもあったんじゃ
ないですか ?
││この初場所を終わって、ちょう
雅
山
が
頭
で
当
た
っ
て
突
っ
張
る
か
ら
右
ノ
ド
輪
で
出
る
と
、
左
へ
﹁ 自 分 の ミ ス と か も あ っ た し、 ま あ
頭
と
頭
で
低
く
当
た
り
合
い
、
武
� �
落
と
し
た
。
1 貴乃花
� � し た つ 深 引 乃
、
玉
乃
島
は
左
右
下
か
ら
は
ね
上
り
左
か
ら
お
っ
つ
け
て
反
撃
、
再
のおむつも替えたり、家事も手伝っ
双
山
が
左
右
か
ら
は
さ
み
つ
け
て
出
潮
決
ま
丸 り
︵ 手
寄 は
り 引
切 き
り 落
︶ と
貴 し
ノ 。
栄 浪
全勝V年少記録ベスト5
� � の へ り で り
琴
ノ
若
︵
寄
り
切
り
︶
栃
て
こ
ら
え
、
雅
山
が
右
へ
い
な
し
突
き
合
い
押
し
合
っ
た
が
、
雅
山
﹁ 家 の 中 で ゆ っ く り し て い る ね。 と
る
と
、
岩
木
山
は
ま
ず
右
、
次
い
で
琴
ノ
若
待
っ
た
。
栃
栄
が
頭
で
当
││横綱ともなると公私ともにプレ
︵
押
し
出
し
︶
旭 ��
鷲 秒
山 �
� 。
玉
乃
島
の
引
き
に
乗
じ
、
左
か
ら
ど横綱として一年経験したわけです
っ
つ
け
て
押
し
出
し
た
。
る
と
、
琴
ノ
若
は
右
の
か
ち
上
げ
いろいろあったので、そういうこと
ら
突
っ
張
っ
て
出
て
右
差
し
、
栃
�� お は び 回 て げ と
土
佐
ノ
海
ているよ。日本ではどうかわからな
が
右
ハ
ズ
左
か
ら
お
っ
つ
け
て
攻
龍
、
千
代
大
海
、
朝
赤
龍
が
十
二
連
ッシャーがあると思うんですが、ひ
立
て
る
と
、
土
俵
に
詰
ま
っ
て
危
勝
。
三
力
士
の
十
二
日
間
勝
ち
っ
放
まな時などは、どうやってリラック
か
っ
た
が
、
右
下
手
を
取
り
左
か
し
は
昭
和
十
八
年
一
月
の
双
葉
山
、
が、やはり大変な一年でしたか?
お
っ
つ
け
て
寄
り
返
し
、
左
上
手
羽
黒
山
、
照
国
三
横
綱
が
あ
る
が
、
﹁いや、
いい一年だったんじゃない。
司
戦
後
十
五
日
制
が
定
着
し
た
昭
和
二
で頑張ろうとは思ったね﹂
◆
中
入
り
後
◆
︵ 批 判 や 意 見 ︶ は 聞 き な が ら、 土 俵
取
る
と
両
ま
わ
し
か
ら
千 �� 引
代
き
秒
天
山 � つ
� 。 け
つ
り
身
に
寄
り
切
っ
た
。
熱い家族 なんだよ︵笑い︶
﹂
十
四
年
五
月
以
降
で
は
初
め
て
。
平
ないといけないからね。まあうちは
幕
雅
山
が
勝
ち
越
し
、
関
脇
琴
光
喜
いけど、夫婦は互いに協力していか
と
新
小
結
霜
鳥
が
負
け
越
し
た
。
�����
� て も ら な め 栄 か た
十
文
字
︵
す
そ
返
し
︶
筋トレは苦手だったけど
ダンベルで鍛えた
先
手
先
手
と
攻
め
込
み
、
横
綱
の
全
左
で
頭
を
押
さ
え
て
右
へ
下
が
り
、
勝など、相撲界のナンバーワンの記
�
││今度全勝したことで、双葉山の
垣
両
者
添 気
︵ 合
突 わ
き ず
落
と 待
し っ
︶ た
安 。
美
錦
� い き 右
朝 た 込 足
赤 が ん 一
龍 伊 だ 本
︵ 之 。 を
引 助 � 俵
き の 秒 に
落
と う � か
し ち 。 け
︶ わ 物 て
魁
ど 言 左
お い へ
皇 り が は
� 。 つ た
く
の
独
り
相
撲
だ
っ
た
。
録に挑戦してみよう、と思ったりは
�
六十九連勝や、大鵬の三十二回の優
協
会
の
決
ま
り
手
は
す
そ
払
い
� 。
�
若
兎
馬
︵
送
り
出
し
︶
││ 優 勝 や 全 勝 を 決 め る 一 番 を 含
頭
と
頭
で
低
く
当
た
り
合
い
、
安
め、初場所の横綱は全然緊張してな
�
時
津
海
︵
寄
り
切
り
︶
金
開
山
�
豊
両
力
桜 士
︵ 気
突 合
き わ
出 ず
し 待
︶ っ
普 た
天 。
王
いように見えたのですが⋮⋮。
http://www.tonan.jp
金
開
山
早
す
ぎ
時
津
海
待
っ
海 た
� 。
子がよければ、という感じだね﹂
14
美
錦
が
右
差
し
左
か
ら
攻
め
て
出
る
しませんか?
一部もデザインしている。
と
、
垣
添
は
右
で
首
を
巻
き
左
へ
回
豪
闘
普
天
風 牙 王
︵ ︵ や
押 す や
早
し く
い
出 投 く
し げ 豊
︶ ︶ 桜
和 春 待
歌
乃 ノ っ
山 山 た
� � � � � 。
琴
春
日
龍 錦
︵ ︵
寄 突
り き
切 出
り し
︶ ︶
海
朝
乃
鵬 若
﹁ 相 撲 の ほ う は、 い い 内 容 が 続 い た
1999 年から大熊が表紙のデザインを担当している。2004 年から DTP 化にともない、本文の
栃
乃
洋
︵
寄
り
切
り
︶
黒
││最後に春場所の抱負を聞きたい
創刊 50 年を超える歴史のある雑誌。20 世紀中は何と鉛活字で印刷していた。
�
当
た
り
合
い
差
し
手
争
い
か
ら
栃
� � � � �
高
見
盛
︵
引
っ
か
け
︶
武
雄
山
﹁ ま あ、 あ ま り 考 え な い ね。 運 と 調
のですが。
大相撲 読売新聞社
武
雄
山
が
頭
で
低
く
当
た
る
と
、
たね。内容が安定していたので緊張
いね。とにかくいつも優勝すること
﹁ 力 を 出 し 切 っ て、 連 続 優 勝 を し た
はあまりしなかった。相手の相撲が
見えていたので、迷いがなかったん
��
高
見
盛
は
右
を
固
め
左
か
ら
引
っ
張
ので、あまり怖さというのはなかっ
だよ。迷うと緊張するからね﹂
最強の正体
�����
││とにかく横綱の相撲にはスピー
︹ 取材・構成 長山 聡︺
││どうもありがとうございました。
が目標だよ﹂
ドがありますよね。
からね。それは師匠にも言われてい
﹁先に先に攻めるのが自分の相撲だ
��
り
、
若
の
里
が
左
右
朝赤龍の快進撃が止まらない。そ
れどころか、中日で勝ち越して以降、
当たりの強さ、技の切れ、いずれも輝
きを増してきた。北の湖理事長も、魁
皇、千代大海を差し置き「横綱の次
に流れがいいのは朝赤龍。自信を持
った若手は怖いよ」とほめた。左差し
が速く、その後の攻めも速い。
3場所連続で負け越した時は、差し
身から腰を引いてしまい、守りの相撲
だった。だが、朝青龍の胸を借り地力
をつけた。同時に、
「自分の形になっ
て攻める」という気持ちが、相撲に表
れている。
「横綱の援護射撃」
、さらに
は、
「青・赤の優勝決定戦」など、日
に日に周囲の声は騒がしくなってきた
が、本人はさらり。
「自分のために取
る」
。
15
4
序文
行
き
詰
ま
り
に
直
面
し
た
の
か
を
、
シ
リ
ー
ズ
全
体
の
経
緯
を
た
ど
り
な
が
ら
分
析
し
た
。
ゴ
ジ
ま 本
ず 書
、 は
Ⅰ ﹁ 三
﹃ 部
怪 構
獣 成
の と
時 な
代 っ
﹄ て
の
い
終
る
焉 。
﹂ と
題
し
て
、
な
ぜ
ゴ
ジ
ラ
・
シ
リ
ー
ズ
が
現
在
の
よ
う
な
こ
う
し
て
本
書
は
生
ま
れ
た
の
だ
っ
た
。
を
考
案
し
、
具
体
的
に
代
案
と
し
て
提
言
す
る
と
い
う
の
は
ど
う
だ
ろ
う
⋮
⋮
?
を
緻
密
に
分
析
し
た
上
で
、
90
年
代
に
お
け
る
ゴ
ジ
ラ
映
画
が
ど
の
よ
う
な
内
容
で
あ
る
べ
き
か
う
に
皮
肉
な
パ
ロ
デ
ィ
と
し
て
で
は
な
く
、
現
在
の
ゴ
ジ
ラ
・
シ
リ
ー
ズ
が
抱
え
る
問
題
の
構
造
同
じ
こ
と
が
ゴ
ジ
ラ
に
関
し
て
も
で
き
な
い
も
の
だ
ろ
う
か
。
し
か
も
エ
デ
ル
ス
タ
イ
ン
の
よ
へ
の
批
評
と
な
っ
て
い
る
わ
け
で
あ
る
。
れ
こ
れ
模
倣
し
た
よ
う
な
内
容
に
な
っ
て
い
る
の
だ
が
、
そ
の
こ
と
自
体
が
現
実
の
夏
休
み
映
画
を
カ
受 そ 考
け し え
夏 て 始
休 私 め
み は て
映 、 い
画 ア た
﹂ メ 。
と
リ
い
カ
う の
傑
雑
作
誌 な ﹃
エ ロ
ッ ー
セ リ
イ ン
を グ
思 ・
い ス
出 ト
し ー
た ン
。 ﹄ が
こ
数
れ
年
は
前
映
に
画
掲
評
載
論
し
家
た デ ﹁
ビ 大
ッ バ
イ 映 だ
を 画 が
書 ﹃ 、
い 奴 彼
た ら は
の に あ
だ 杭 え
。 を て
も 打 評
ち て 論
ろ ! の
形
ん ﹄ ﹃ の
式
奴 シ
を
ら ノ と
に プ
ら
杭 シ
ず
ス を ︵
打 あ 、
彼
て ら
自
! す
﹄ じ 身
は ︶ が ﹁
、 を
企
既 紹
成 介 画
﹂ の す し
ハ る た
リ と 吸
ウ い 血
ッ う 鬼
ド 形 物
娯 で の
楽 こ 夏
映 の 休
画 エ み
を ッ 娯
あ セ 楽
ド
・
エ
デ
ル
ス
タ
イ
ン
が
、
ハ
リ
ウ
ッ
ド
の
夏
休
み
娯
楽
映
画
の
無
内
容
さ
を
論
じ
た
も
の
な
の
﹃ ゴ
vs
ビ ジ
オ ラ
復
ラ 活
ン と
テ そ
﹄ の の
挑 問
戦 題
と 点
挫 ︱
折 ︱
﹁ ﹁ 内
怪 秘 容
獣 境 的
の 冒 凋
時 険 落
代 路 の
﹂ の 線 真
終 ﹂ の の
焉 内 要
︱ 容 因
︱ と ︱
︱ 問 ︱
︱
︱ 題
点 ︱
マ か
ト ゴ し
と ジ か
ぼ ラ し
く に ゴ
﹁ ジ
ら
有 ラ
の
終 が
民
の 現
主
美 状
主
﹂ 義 を の
﹄ 飾 ま
を
ら ま
上
せ で
梓
る 消
し
よ え
て
う て
し
な ゆ
ば
方 く
ら
法 の
く
は は
し
な 、
た
い た
こ
も し
ろ
の か
か
だ に
ら
ろ 惜
、
う し
私
か い
は
? こ
こ
と
の ﹃ で
よ ゴ あ
う ジ る
な ラ 。
こ と 何
と ヤ と
ま
う
に
違
い
な
い
。
現
状
を
我
慢
し
て
受
け
入
れ
た
と
こ
ろ
で
、
ど
の
み
ち
シ
リ
ー
ズ
は
な
し
く
ず
し
に
終
わ
っ
て
し
2
怪
獣
映
画
の
成
︱ り
︱ 立
︱ ち
1
ゴ
ジ
ラ
行
き
詰
ま
り
の
原
因
は
何
か
を
使
い
回
し
て
再
登
場
さ
せ
る
こ
と
で
、
何
と
か
新
作
を
成
立
さ
せ
て
い
る
の
で
あ
る
。
つ
ま
り
近
作
の
題
名
が
示
す
と
お
り
、
90
年
代
に
入
っ
て
か
ら
の
ゴ
ジ
ラ
映
画
は
、
か
つ
て
の
人
気
怪
獣
が こ
で ろ
き に
な ま
く で
な 来
っ て
て い
い る
る 。
か も
ら は
だ や
。 ゴ
﹃
ゴ ジ
ラ
ジ
映
ラ
vs 画
は
キ
、
ン
グ 新
し
ギ
い
ド
対
ラ 戦
﹄ ﹃
相
ゴ
手
ジ の
ラ
怪
vs
獣
モ を
ス
作
ラ
り
﹄ と 出
い す
っ こ
た と
と
は
い
え
、
実
は
こ
の
よ
う
な ﹁
妥
協
﹂ に
よ
っ
て
も
、
ゴ
ジ
ラ
・
シ
リ
ー
ズ
は
続
き
え
な
い
と
5
装
画
﹁
英
雄
の
黄
昏
93
﹂
及
び
本
文
イ
ラ
ス
ト
さらば愛しきゴジラよ 佐藤健志著 読売新聞社 1993
装
幀
・
本
文
デ
ザ
イ
ン
・
組
版
︱
︱
大
熊
︱ 肇
︱
東
田
亜
希
Ⅲ 2 第
一
作
ロ 性
的 の
ン な 発
グ 寓 展
的
継
・ 話
と 承
シ し ︱
て
︱
ノ
﹃ ︱
プ の ︱
140
シ ゴ
ジ
ス ﹃ ラ
﹄ ゴ ︱
︱
ジ ︱
︱
ラ 147
完
結
編
﹄ ︱
︱
︱
︱
161
﹃ Ⅱ ﹃
フ
ァ フ
イ ァ
ナ イ
ル
・ ナ
ゴ ル
ジ ・
ラ
︱
ゴ ︱
﹄ の
︱
基 ジ ︱
本 ラ 119
的 ﹄ 方 の
法 た
論
1 ︱
︱
︱
︱
123
め
の
戦
略
︱
︱
︱
︱
121
後
期
ゴ
ジ
ラ
の
さ
ら
な
る
問
題
点
︱
︱
︱
︱
5
後
期
ゴ
ジ
ラ
の
試
行
錯
誤
︱ ︱
︱ ︱ ︱
︱ 79 ︱
︱
︱
︱
106 91
﹃
ゴ
ジ
ラ
が
有
終
の
美
を
飾
る
た
め
に
最
近
二
作
の
退
嬰
と
破
綻
新
ゴ
ジ
ラ
﹄ の
失
敗
79
︱
︱
︱
︱
︱ 84
︱
︱
︱
︱ 98
︱
︱
︱
72
中
期
ゴ
ジ
ラ
終
結
の
理
由
︱
︱
︱
︱
76
︱ 47
︱
︱
︱ ﹁
4
お
子
様
ラ
ン
チ
化
へ
の
道
程
3
怪
獣
対
決
と
ゴ
ジ
︱ ︱ ラ
︱ ︱ 善
︱ 30 玉
︱
化
39
の
︱
怪
︱
獣 理
︱ 境 対 由
黒 ︱
56
幕 47
宇
宙
恐 人
怖 ﹂ 映 の
画 必
要
の ﹁ 性
60 と
年 矛
代 盾
革
命 ︱
﹂ ︱
︱ ︱
︱ ︱
︱ 50
︱
62
ゴ 中
ジ 期
ラ ゴ
の ジ
﹁ ラ
怪 の
獣 区
性 分
﹂ 喪 ︱
失 ︱
界
の
仕
切
り
直
し
︱
︱
︱
︱
43
決
路
線
の
開
始
︱
︱
︱
︱
34
︱
︱
︱
︱
30
怪
獣
映
画
成
立
の
条
件
︱ ︱
21 ︱
︱
︱
正
当
的
怪
獣
映
画
と
し
て
の
初
期
ゴ
ジ
ラ
21
︱
︱
︱
︱
Ⅰ ﹁
怪
獣
の
時
代
﹂ ︱
の ︱
終 ︱
︱
焉 15
ゴ
ジ
ラ
・
シ
リ
ー
ズ
年
表
序
文
︱
︱
︱
︱
1
︱
︱
︱
︱
12
︱
︱
︱
︱
17
19
︱
︱
︱
︱
25
116
Macintosh の漢字 TALK7 と QuarkXPress3.1 によるフル DTP。各ページのイラストを少し
ずつ回転させ、地球にしがみついたゴジラがパラパラマンガで回転する。つらかった。なに
しろメモリが 20MB 程度なんだから。なんどフリーズしたことか。
装画:東田亜希 組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
16
http://www.tonan.jp
※昔のデータなので OCF フォントの再現が忠実ではありません
17
目
次
関 文 年 伊 ﹁ 伊 伊 東 同 忠 伊 墓 築 連 献 譜 東 熱 東 京 郷 太 東 人 一 忠 河 東 忠 観 地 の の 忠 の 名 覧 中 太 遺 隠 太 太 光 漫 谷 忠 建 本 跡 小 礼 建 建 ・ 画 れ 建 ﹂ 事 中 仁 築 太 技 築 築 築 忠 願 家 調 典 谷 作 太 ・ ・ 文 家 礼 ︱ 文 査 の 寺 献 時 献 品 ツ ︱ 伊 編 仁 ︱ 選 保 一 ア が 東 事 選 ・ 集 ︱ ︱ の 存 か 漫 ︱ 覧 ー 忠 部 ︱ 伊 現 ︱ 一 続 計 け ︱ 太 画 ︱ ︱ ︱ 九 ︱ 画 ら き 長 ︱ 代 ︱ に ︱ 東 ︱ 八 ︱ の ︱ 尾 ︱ 二 ︱ つ ︱ 衣 一 ︱ 〇 を 忠 に ︱ 顛 ︱ い 二 里 ︱ 二 ︱ 末 二 探 伝 一 て 一 七 太 二 子 ︱ 〇 四 一
世
一
代
の
ロ
マ
ン
チ
ス
ト
し ラ 四 四 て ズ ウ 一 伊 八 東 二 祐 信 ︱ ︱ ︱ ︱ 一 七 四 中 谷 礼 仁 ︱ ︱ ︱ ︱ 一 五 八 ェ ル 細 木 ︱ ︱ ︱ ︱ 一 五 七 写真
伊
東
忠
太
と
い
う
男
建築巨人
伊藤忠太 読売新聞社編 読売新聞社 1990
Architect を建築と訳し、法隆寺が世界最古の木造建築であることを発見。築地本願寺や平
安神宮、明治神宮を設計。芸術院会員と学士院会員の両方になったスーパーマン伊東忠太。
以前、編集者が「知ってるつもり」に持ちかけたところ「涙をさそう話か、教訓になる話が
一
七
中 島 渉 ︱ ︱ ︱ ︱ 一 二 四 え 〇 ︱ ︱ る ︱ ︱ も 一 の 一 八 飯 島 洋 一 ︱ ︱ ︱ ︱ 一 二 二 迎
え
う
つ
よ
う
な
形
で
、
伊
東
忠
太
や
大
ん
に
繰
り
出
し
て
い
た
各
国
の
探
検
隊
を
藤 う も
森 で 、
す そ
当 が の
時 。 影
、
響
ヨ
を
ー
か
な
ロ
ッ
り
パ
受
の
け
列
て
強
い
が
た
盛
よ
に
渡
っ
て
派
遣
し
た
大
谷
光
瑞
な
ん
か
仏
教
研
究
の
目
的
で
大
谷
探
検
隊
を
三
度
さ
ん
み
た
い
な
も
の
で
、
日
本
の
第
一
号
、
建
築
史
の
学
者
と
し
て
は
僕
ら
の
じ
い
忠
太
が
最
初
に
発
見
し
た
ん
だ
け
ど
、
そ
藤 ろ を
森 な 先
問 に
中 題 持
国 が っ
の 起 て
雲 こ い
崗 っ か
石 た れ
窟 り た
な す と
ん る か
か 。 、
も
い
伊
ろ
東
い
ね
。
た
っ
た
一
歩
の
違
い
で
貴
重
な
発
見
か
チ
ベ
ッ
ト
の
あ
た
り
で
ぶ
つ
か
る
わ
け
結
果
、
法
隆
寺
の
エ
ン
タ
シ
ス
が
ギ
リ
シ
ア
ジ
ア
に
出
掛
け
て
い
く
ん
だ
け
ど
、
当
荒
俣
央
ア
ジ
ア
を
歩
い
て
い
る
。
明
治
時
代
に
人
字
形
の
割
り
束
と
か
、
法
隆
寺
の
デ
ィ
藤 て と
森 。 こ
ろ
そ
に
う
法
そ
隆
う
寺
。
が
卍
あ
崩
る
し
じ
の
ゃ
勾
な
欄
い
と
か
か
っ
、
つ
け
た
わ
け
で
し
ょ
う
。
あ
っ
、
こ
ん
な
た
か
と
い
う
と
、
や
っ
ぱ
り
法
隆
寺
を
見
荒 て 発
俣 い 見
な は
伊 い 、
東 。 世
忠
界
的
太
が
に
雲
は
崗
あ
で
ま
何
り
を
認
見
め
つ
ら
け
れ
わ
け
で
す
。
だ
か
ら
、
伊
東
忠
太
の
雲
崗
ら
、
そ
の
網
に
ま
ん
ま
と
引
っ
か
か
っ
た
い
勢
い
で
ア
ジ
ア
研
究
を
や
っ
て
い
た
か
は
ベ
ト
ナ
ム
に
本
拠
地
を
置
い
て
、
す
ご
く
発
表
さ
れ
ち
ゃ
う
。
当
時
、
フ
ラ
ン
ス
ラ
ン
ス
の
学
者
に
流
れ
て
、
パ
リ
で
大
き
れ
を
北
京
あ
た
り
で
し
ゃ
べ
っ
た
の
が
フ
番
大
儲
け
し
た
の
は
イ
ギ
リ
ス
で
、
敦
煌
が
組
ん
づ
ほ
ぐ
れ
つ
の
状
態
だ
っ
た
。
一
い
う
こ
と
で
、
ア
ジ
ア
の
真
ん
中
で
各
国
っ
た
ら
し
い
。
聞
い
て
て
、
す
ぐ
に
二
巻
本
を
作
っ
ち
ゃ
ん
で
す
ね
。
そ
し
た
ら
、
フ
ラ
ン
ス
人
が
い
き
な
り
法
隆
寺
を
見
つ
け
ち
ゃ
っ
た
も
な
ん
か
あ
る
ら
し
い
と
聞
い
て
、
そ
こ
で
行
っ
て
す
ぐ
に
北
京
か
な
ん
か
で
雲
崗
に
い
を
よ
う
や
く
も
ら
っ
て
、
出
発
す
る
。
ご
ね
て
、
結
局
は
予
定
の
三
分
の
二
ぐ
ら
と
言
わ
れ
る
ん
だ
け
ど
、
一
年
間
ご
ね
に
荒 て 藤
俣 、 森
ア
文 ジ ア
部 ア メ
省 な リ
に ん カ
そ か で
ん と も
な ん ダ
金 で メ
は も で
出 な す
せ か 。
な っ ま
い た し
。
そ
の
こ
ろ
は
期
せ
ず
し
て
西
洋
で
も
日
現
地
で
い
ろ
い
ろ
講
演
を
や
っ
た
ら
し
い
の
だ
か
ら
、
す
っ
か
り
喜
ん
じ
ゃ
っ
て
、
︱ ︱ 九 三 荒 か 谷
俣 っ 探
て 検
そ 出 隊
の 掛 が
結 け 日
果 て 本
、 い か
ち っ ら
ょ た 中
う 。 央
ど
ア
イ
ジ
ン
ア
ド
に
と
向
テ
ー
ル
が
、
あ
そ
こ
に
は
あ
る
ん
で
す
。
本
で
も
、
文
化
の
ル
ー
ツ
を
眺
め
よ
う
と
﹁ 伊 伊 父 ︱ 前 日 忠 ︱ 一 ︱ ク コ 東 東 ・ ︱ 記 ︱ 口 ラ 忠 忠 伊 ﹁ 太 ︱ 世 上 ラ 自 ︱ ︱ ム 太 太 東 ︱ 浮 叙 一 イ 編 ︱ の の 忠 ︱ 世 画 ︱ 阿 山 建 フ ン 集 太 稲 の 伝 伊 代 伊 部 部 下 葉 好 定 築 ィ を 信 旅 ﹂ 東 東 の ・ ︱ ︵ 作 ー 語 子 ﹂ 全 忠 宏 ︱ ︱ 忠 ロ ボ ︱ ︱ ︱ 品 ル る ︱ を 文 太 太 ︱ ︱ ︱ を ド ︱ 通 ︶ マ ト 八 ︱ ︱ の ノ 伊 ︱ し ︱ と へ ︱ 八 ぞ ー 東 ︱ の ル て ︱ い ン 一 一 い ト 祐 五 ︱ オ 〇 て よ 信 五 み ︱ う チ と た 男 三 畠 み り ︱ マ 二 ス し 帝 ︱ 山 ー 九 る ︱ ︱ 小 健 荒 国 て ジ 出 二 と ︱ ︱ 俣 ト 大 ︱ ⋮ 正 ︱ 六 ュ 宏 の 学 志 ︱ ︱ ︱ 六 、 生 ︱ ︱ ︱ 七 藤 モ 藤 伊 ︱ ︱ ︱ 〇 原 森 東 ︱ 八 ︱ 惠 ダ 照 ︱ 九 七 洋 信 忠 ン 一 六 ︱ 太 ︱ 一 高 ︱ ︱ の 七 田 ︱ ︱ 学 ︱ ︱ 裕 生 史 一 一 生 〇 二 ︱ 活 ︱ ヨ
ー
ロ
ッ
パ
な
ん
で
す
ね
。
時
、
偉
く
な
ろ
う
と
思
っ
た
ら
、
み
ん
な
伊
東
忠
太
は
留
学
と
い
う
名
目
で
そ
れ
と
、
京
都
の
平
安
神
宮
や
一
橋
大
学
た
ら
忘
れ
ら
れ
な
い
イ
ン
ド
風
の
寺
院
。
本
願
寺
で
す
ね
。
あ
の
異
様
な
、
一
度
見
品
で
よ
く
知
ら
れ
て
い
る
の
は
、
築
地
の
っ
た
わ
け
で
す
が
、
建
築
家
と
し
て
の
作
建
築
家
で
あ
り
、
建
築
史
の
学
者
で
も
あ
藤
森
ス
タ
ン
ブ
ー
ル
に
ま
で
辿
り
つ
く
。
そ
の
ア
フ
ガ
ニ
ス
タ
ン
を
抜
け
て
、
最
後
は
イ
間
、
ロ
バ
に
乗
っ
て
中
国
か
ら
イ
ン
ド
、
で
、
文
部
省
か
ら
お
金
を
も
ら
っ
て
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ないと ......」といわれたらしい。カバーは 1 色刷り。QuarkXPress による DTP。
組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
18
http://www.tonan.jp
※昔のデータなので OCF フォントの再現が忠実ではありません
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158
みんなあの世の人、ではなかった。前列左から初代昔昔亭桃太郎、志ん生、
8代目桂文楽。後列右から6代目三遊亭円生、5代目柳家小さん
(1953年)
※ ※ ※ 円 歳 松 天 蔵 ︶ 鶴 狗 連 七 六 代 代 素 目 目 人 橘 笑 で 家 福 落 円 亭 語 蔵 松 を ︵ や 一 鶴 ︵ る 九 一 人 八 九 〇 八 年 六 没 年 、 没 享 、 年 享 七 年 十 六 九 十 歳 九 ︶ 読売新聞社の名物編集者某が、落語の本の企画を 3 つ上に上げたところ、志ん生の本の企画
だけが通った。どうしても 3 つの本を作りたかった某は、3 冊文の原稿を 1 冊に詰め込むこと
組版設計・DTP 組版:大熊肇+中妻祐子(tonan)
題字・装丁:大熊肇(tonan)
20
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を大熊に命じた。虫眼鏡がないととても読めない。組版をする方はもっとつらい。
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大熊�肇
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風化した壁や錆びた鉄の表面、シミやデカルコマニー、
木目など、偶然みつけたものを素材として、自らの肉体と
表層の意識を隠し、
深層の意識による
「発見」
と
「選択」
「概
、
念の変換」によって作品を制作している。
���� 年埼玉県生まれ。
� 歳で書道を、�� 歳で写真を、�� 歳で篆刻をはじめる。
桑沢デザイン研究所リビングデザイン研究科(グラフィッ
クデザイン専攻)卒。
�������������� = �� 世紀美術連立展(東京都美術館)
��������� 展埼玉(埼玉県立近代美術館)
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など
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「LOVE 展」カタログ表紙 2004 主催:日本 SJP 委員会 写真・デザイン:大熊肇(tonan)
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「LOVE 展」カタログ本文ページ 編集・組版設計・DTP 組版・撮影:大熊肇(tonan)
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パソコン徹底講座 読売新聞社
「YUMIURI PC」の連載の中で、人気
が高かった特集を集めたムック。
基本的に雑誌からの流用だが、アプリ
ケーションの進化が早すぎて、ムック
近代の英傑 前島密 その生涯と足跡(上) 社団法人 逓信研究会 2005
にするときには、内容や画像が古くなっ
ているので、全ページをオペレーショ
編集、本文デザイン、組み版、装丁を小社で担当した。なにかとタイムリーな書籍である。
ンし直す必要がある。今までに 10 数冊
郵政民営化前に、なんとしても下巻を拵えなければ。
出版されており、そのすべてを大熊が
担当している。
編集・組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
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本文オペレーション・表紙デザイン:大熊肇(tonan)
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映画論叢 樹花舎
まやかしの外国人研修制度 外国人研修生問題ネットワーク 2000
正直言ってこんなにマニアックな雑誌が、こんなに続くとはおもわなかった。
組版基本フォーマット設計・装丁:大熊肇(tonan)
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編集・組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
校正:中妻祐子(tonan)
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まるわかり外国人医療 移住労働者と連帯する全国ネットワーク 2004
ドメスティックバイオレンスと人身売買
移住労働者と連帯する全国ネットワーク 2004
組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
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組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
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再就職支援会社全ガイド 深田洵二著 実業の日本社 2003
神々の起源 何新著 樹花舎 1998
組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
組版設計・装丁:大熊肇(tonan)
作字:中妻祐子(tonan)
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四部叢刊 電子版 日本語版 取扱説明書
ありがとう 服部サク子著 自費出版 1997
北京書同文数字化技術有限公司 (株)カイテル 西岡漢字情報工学研究所 2003
自費出版を馬鹿にしていた大熊の認識を改めさせた本。
『四部叢刊』は、1919 年から 1925 年にかけて刊行された漢籍「善本」の大型コレクション。
夫の事故と事業の失敗、借金取りに居留守を使う毎日、夫の死、子育て、慣れない水商売、
477 種 3134 冊、総ページ数 232,478 ページ、字数 9 千万余りに上る。『四部叢刊電子版 日本
再婚などの体験が飾らない文体で切々と綴られている。組版をしながら、
「人それぞれにこん
語版』はその完全電子版の日本語版。正確、迅速な「全文検索」
、
「分類検索」が特色。
な物語があるのか」と涙が出そうになった。
組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
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若い記者たちへ 有志記者の会編 樹花舎 2003
アレルギーからあなたを守る 7 つの方法
ある NGO のメーリングリストで、集会に必要な予算がないのだが、某団体から助成金をも
シルヴィア・ゴールドファーブ著 ネコパブリッシング 2002
らっていいか、というメールに、大熊が「もらってもいいでしょう。汚い金をきれいに使い
ましょう」と返信したところ、松井やよりさんから、
「アジアの人たちから搾取したお金で、
アジアの人の集会ができますか」と猛烈にしかられた。松井さんの悲報を聞いて、このブッ
クレットの仕事を買って出た。 組版設計・DTP 組版・装丁:大熊肇(tonan)
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組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
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「クレームはチャンスだ!」
フレッド・ビアスマ著 日経 BP 社
装丁:大熊肇(tonan)
「カウンセリングマインドの重要性」 長谷川博一著 樹花舎 2004
装丁:大熊肇(tonan)
検索名句秀句 村石利夫著 小学館文庫 2002
「墨に生きる むかし絵ばなし」 木下紀久夫著 日貿
組版設計・DTP 組版:中妻祐子(tonan)
装丁:大熊肇(tonan)
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出版社 1989
装丁:大熊肇(tonan)
「二一世紀の社会と学校」 二宮皓著 協同出版 2000
装丁:大熊肇(tonan)
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「江戸深川華づくし」 中山幹雄著 読売新聞社 1996
装丁:大熊肇(tonan)
「新聞をひらく」 朝日新聞メディア班編 樹花舎 1999
装丁:大熊肇(tonan)
「東京いい映画館みたい映画館」 丹野達弥編 樹花舎
1988
装丁:大熊肇(tonan)
「最新・栄養キーワード事典」 五十嵐脩監修 池田書
店 2005
写真:John Lee 装丁:大熊肇(tonan)
有限会社トナン 大熊肇+中妻祐子
「生産管理用語辞典」
日本経営工学会編 日本規格協
会 2002
装丁:大熊肇(tonan)
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「第二期 戦争責任」 アジアに対する日本の戦争責任
を問う民衆法廷準備会編 樹花舎
装丁:大熊肇(tonan)
埼玉県春日部市中央 6-3-15 〒 344-0067
tel: 048-733-1252 fax: 048-733-1247
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