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佐藤 文 嫡 ・史子
4
0
昨 年 4 月 1 国か ら 7 月 1
0
日ま で の 9
日
間 の世 界 一周
。0
旅 行に出かけた 1 年 くら い
、
前 から 日本近海 で の短期 ク
ルーズ やアラスカク ルーズ な
ど の海外ク ルーズ の経験はあ
ったが、 世界 一周はもち ろん
。
は じめ てである
今 回乗船 したに っぽ ん丸は
199 0年 9月に竣 工した 3
、
代 目 で 2 009年秋か ら2
010年始めにかけ て改修 さ
。
れた 日本 の客船 では飛鳥 I
、
の5万ト ン ぱ しぶ い っくび
いなす の2 ・7肩ト ンに次 ぐ
。
大き さ である
、
当初 の コースは ス エズ運河
、
、
、
地 中海 北米 パナ マ運 対
、
ハワイ の コースであ ったが
ソマリア沖 での海鍛 問題 のた
め ス エズ 運河航 行が 不可能 に
、
な り ケ ープ タウ ン回りに変
。
更された この コース変更と
本郷台分会
1
3 ・︲
の東 日本大 震葵 の影響
で乗客 のキ ャンセ ルが多 く発
、
、
生 し 結局 乗籍 は 12 0∼
13 0人と思われた ︵
営 業破
策 上乗客 数は公表され ていな
。
い︶乗客は リピ ータ ーが 結構
、
2
多 く 世界 一園 1 国 国 の人は
剛楢 と し ても2田目以上 の人
、
も多 く ま た男性 の 一人参加
、
。
も 目立 った 一方 乗組員 ・
スタ ツフが 214名と糞 沢な
、
。
旅 であ った なお 東 日本大
簾益 の影響 で横浜港 での出港
在の
セレ モ ニーは省幡された︵
、
、
、
写 真 は 横 浜 大 桟 橋 に て いざ 出
。
発11と意気 込む 二人︶
︵1 ︶今 回 のク ル ーズ の動 機
、
目的 期 待 など
、
翌 日 神 戸か ら の乗魯 を 案
せ 一路 シ ンガポ ールを目指 し
。
た 今回 のク ルーズ は我衆夫
婦ほと って海外旅行 の 一つの
、
。
区切りと位置づけた また
飛行機 利 用 の旅行 ではなかな
、
か昧 わえな いア マルフ ィ サ
ント リ ー ニ島 の憲色 を海側か
、
ら眺 める こと パナ マ運 河を
じ っくり観察 しト コト ン感 動
、
す る こと 水 平線 で の 日 の
出 ・日 の入りを し っかり眺望
、
する こと 時々刻々変化す る
海水 の色 の変化を観察 する こ
、
、
と クジ ラ アザ ラ シなど の
、
海浮生物 を眺める こと 南 十
字 塁など の星座 で感動を得 る
、
ことなど 盛 りだ くさん の期
。
待 と 目的を持 って乗船 した
、
︵2︶長期 ク ルーズ の心配
懸念材料
ク ルーズ 旅行も長期間乗船
、
、
となれば いるいるな心 配
。
懸念 材料もある
、
、
ます第 一に自分 同伴者
、
、
家族 親崩など の健康状態
3カ 月間も退層 しな いだ ろう
、
、
か 船酔 いしな いだ ろうか
、
食事 は飽きな いだ ろうか 服
、
装も特に女性 では心配だ 外
、
国船 と の違 いはど うだ ろうか
航空機 を利用した海外旅 行と
、
、
の違 い すなわら ク ルーズ
旅行 の魅力はど こにあ る のだ
、
ろうか 旅費が いかにも高 そ
。
うだ等 々が想定 され る しか
し、 これらは紀 憂だ った こと
。
を以 下に述 べた い
、
、
、
① 自分 国伴者 家族 親戯
など の健康状態は?
特 に高齢な親 の介護 など を
していれば 実質的 に困難 であ
、
。
る 霞悪 の事態 を想定 し 航
海途中 で下船 ・帰国せざ るを
、
得な くな っても よ いよう に
し っかり保険に 入 った。
② 3カ 月 間 の乗船 で 還 屈 し
な いか ?
航 海中は毎 日朝から晩ま で
。
多 彩な イ ベントが あ る 字朝
0
6時 3
ぉ か ら の モ ー エ ング
、
コーヒ ー&テ ィーに始ま り
、
、
体操 朝 食 9時から各 種 の
イ ベントプ ログ ラムが スタ ー
3 0
ト 。 昼食 後 4
時 3 分 か ら年
後 のイベ ントプ ログ ラムが ス
ヽ4
タ ︲卜 し ︲ 時から アフタヌ
8 0
ー ン テ イー、 4
時 3 分から
0 0
の夕食 後 2 時 3 分か ら メ ー
、
、
ンシ ョー そ の後ダ ンス カ
、
。
ジ ノ す イト シアタ ーと続 く
具体的な イベント & エンタ
ーテイ ンメ ント には カ ルチ ャ
、
、
ー教窒 ︵
パ ソ コン ダ ンス
、
、
ペーパ ーア ート プ リ ッジ
ア ート クラフト イメージ ア ッ
、
、
、
プ デ ツキゴ ルフ 水墨画
、
、
囲碁 水彩 画 麻雀など ︶や
、
、
シ ョー 音楽 ︵シ ャンツ ン
、
、
、
オペラ フルート 声楽 サ
ツク ス、 ラテ ン、 チ エロ、 ハ
、
、
、
ワイア ンなど︶ 議漫 演芸
、
、
占典芸能 ︵
落語 講談 マジ
ツク、 人形芝居など ︶などが
、
あり 講 師も途中か ら乗 下船
、
0
を繰 り返し 延 べ 6 人 程度が
。
参加 した
この他 7回 のテーマナイト
、
︵アジ ア ンサイト オレ ンジ
、
、
ナ イト 恨装パ ーテ イー ラ
、
テンサ イト ハワイア ンナ イ
ト、ジ ャパ エーズ ナ イト 、 ロ
イヤ ルブ ルーナ イト︶が 開催
、
。
された 加 え て 乗魯参加 型
、
プ ログ ラムと して かく し芸
、
大会 2回 の盆踊り大会 と運
、
、
動会 5国 のビ ンゴ ゲ ーム
3回 の船 長主催 のカ クテルパ
ーテ ィー、赤道祭、餅 つき六
、
、
会 A点鐘 汽 笛なども準備
。
された
、
これに対 し 乗魯 のアクシ
ョンは、 これら の船内 イ ベ ン
ト に参 加す る、寄港地 で の有
規 のオプ シ ョナ ルツア ー ︵以
、
、
下 OP︶に参加する 宿 泊
を伴 うオ ーバーラ ンド ツア ー
、
有 料︶ に参加する こと で
︵
もち るん全 く自由 に行動す る
。
ことも 可能 である
③ 船酔 いしな いか?
横揺れ防 止装置 ︵いわゆる
フ イン ・スタピ ライザ ー︶が
、
設置され コンピ ュータ ーに
より揺れが 抑えられるように
。
、
設計さ れ ている か つ 通れ
の少な い航路を選択 しなが ら
。
運航 された
、
4月から7局は台風もなく
航 海 には ベスト シ ーズ ンであ
。
、
る 途中 二番目 の雪港地ポ
ート ルイス ︵モ ーリシ ャス︶
ま で のイ ンド洋 で波高 1 ・5
、
m うねり 2 ・5 m程度 を体
、
、
験 したが 太平洋 大 西浮 で
、
も 演 高 l m以 下 う ね り も
1 ・5 m程度 で問題がなか っ
。
た イ ンド洋で2回船酔 いに
、
な ったが 薬を飲ん で就醸 す
れば次第 に身体が 慣れる こと
、
でもあ り そ の後は船酔 ぬも
しなか った。
居住 した 1階 のステ ート ル
ームは船体 のほぼ 中央に位置
し ている ので、 揺れ も少な く
エンジ ン首もあまり気になら
、
す しかも価格 も 一番安 いの
で最初に部屋が 埋ま っていく
、0
。
と のこと である なお 9
日
、
間 の旅行中 傘が 必要だ った
のはわすか 1国 ︵メキシ ヨの
チ ェチ エン イ ツツ ァ遣 跡 観
。
光 ︶ であ った
④ 食事 は お いし いか ? 飽
きな いか ?
に っぽ ん丸 の食事 はお いし
、
いと定 評が あり 航海中 三度
。
と同 じメ ニ ューは出さな い
、
、
、
食事は朝食 昼食 夕食 夜
、
0
食 に加 え 6皓 分か ら のモ
3
0 と3
ー エング コーヒー、1
時
時 のおや つを加 えれば 7□あ
。
、
る 朝食 の選択 肢は 3 つあり
軽め のアメリカ ンブ レ ツク フ
ァースト、和食 のフル コース、
。
洋食 のパイキ ング である 目
食は麺類が 中b で副食も数晶
。
付 く 夕食は和食と 洋食が ほ
。
ぼ 3対 1 で和食が多 い 和食
、
は前菜か ら始ま るフ ル コース
洋食 もオ ードブ ルか ら始ま る
。
フル コースである
、
③ 服装が 堅苦 しそうで心配
準備する洋服も多 そう
日中は気楽 な服装 でOKで
(暮早 )
第 31号
3月
2012年
ロングステイ横浜 会報
昭 駒り 朔 競 ″閉
__挽
。
あ る ド レス コードは夕食か
、
ら就残 ま でで 航海中 フ オー
、
マルは 4回 ス マートカジ ュ
、
ア ルは 6□ で そ の他はカジ
ュア ルであ った。特に女性 は
準備す る洋服が多 くな ってし
、
ま うが 持ち込む数■には制
限はな い のでそ の点は安 心 で
。
ある
③ 外 国 船 と の違 い は い か
が?
外 国船 での経験は 2回 ︵6
0
泊 のアジ ア ンク ル ーズ と 1
お のフラ スカクルーズ ︶しか
、
な いが 地中海 ク ルーズ やカ
、
リブ 海 ク ルーズ の書船は 緩
0
して 1
万 ト ンク ラ ス の大 型
、
船が多 く しかも乗魯は国籍
も多様 で人数も多 い ︵200
。
0人∼ 2500人︶
、
一方 日本 の船は 飛鳥 正で
も5万ト ン程度 ︵に っぽ ん丸
は 2万ト ン程度 ︶と小振り で
、
乗客数も少なく しかも今回
。
は全員 日本人であ った
、
したが って 日本人特有 の
きめ細か いサ ービ スを受ける
。
ことが できた 居住 した部屋
には シ ャワーが 設置され てい
、
たが 専 らサウナ付 の六 浴揚
を 利用した ︵シ ャワール ーム
。
は荷物 や生産品置き揚︶
② ク ル ーズ 旅 行 の魅 力 は 何
か?航 空機を利 用した旅 行と
の違 いは何か?
、
ます 簡物 の煩わ しさか ら
。
の解放 である 船旅 では荷物
、
の霊曇制 限もなく 講め る荷
。
物 で顕を悩ませ る こともな い
宅急 便を利 用すればダ ンポ ー
、
ル箱 も利用 できる ので 荷物
。
を詰 める のも短時 間 ででき る
、
、
第 二に 移動が楽な ので
心島 の疲労がな く身体に優 じ
。
く疲れな い旅 であ る 時差 も
就醸前 に 一時間す つ調整 する
、
。
だ け でよ く 時差も感 じな い
、
第 二に 海外 でも 日本食が
中い の食事を楽 しむ ことが で
。
きる
、
第 四に 出 入国番 査が簡単
。
であ る 一人 一人 の対面審査
は 三度だ け でしかも簡単 であ
った。 アラ スカク ルーズ で経
験 したア ンカレ ツジ での入国
、
、
では 顔 写真撮影 両手 の指
、
紋撮 影と念 入りな番査があ り
手闇取 った のに比 べればボ ス
ト ンで の入国番査は簡単 そ の
。
も のであ った そ の他 の寄港
、
地 では 船側 で乗船魯 のパ ス
、
ポ ートを預かり 一括 して代
。
行簿査 を してくれた
、
第 五に 船から でな いと見
る ことが できな い景色を身近
。
に展望 できた こと である サ
、
、
ント リー ニ島 ア マルフ イ
パナ マ運河 の通行などは特に
。
印象的 であ った
、0
第 六に 9 日間と いう長期
間 の乗船と少な い乗書 のお陰
、
で 船内 イ ベントを 通して乗
、
魯や エンタ ーテイナ ー 乗組
員と知り台 いになれた こと で
。
ある
︵3︶トピ ックス
① 出 港 後 7 日目 に正中 を 体
。
験 した これは太陽が最も高
くなる緯度 ︵
赤緯 ︶が船 の緯
度と 同じになるとき に太 陽が
左の
自分 の頭 の上に来る現象 ︵
、
写首じで 人が立 てば 影が 足元
。
に来 る ことになる
② シ ンガ ポ ー ル駅か ら O P
、
2
で マレ ー鉄遺特別仕立 の 1
両編成 のクラシ ック で難華な
霞れ のイースタ ン&オリ エン
ト急 行に乗車した。昨年 7月
1日に廃止 にな った シンガポ
ール駅で、 マレーシア ヘの入
国 手続き を済ませ てからジ ョ
ホ ー ル バ ル 駅 ま で のわ す か
、
5
4 分 の旅 であ ったが 昼食時
は フラ ンス料理 のフ ル コース
。
左の写真︾
を食 した ︵
、
③ 長期ク ルーズ では 毎朝 8
時 に乗魯 の希望者 は操鹿嚢 で
﹁
と
い
る
を8
八
点
わ
﹂
鐘
れ
鐘
左の写
回たた く ことが できる ︵
。
、
真︶ そ の後 船長が 5分間程
、
度航 行中 の海 の状態や海域
海にま つわる詰 々 の説明を し
。
、
てくれた 加え て 剛途 アフ
0
リカ 沖 を 航 行 中 に 1
秒間 程
度 であ ったが ﹁汽 笛﹂を鴫 ら
。
す機会を得た これも得が た
。
い体験 であ った
④ 船 内 のカ ル チ ャー数 室 の
一つであ る コントラクトブ リ
ツジ のレ ツスンが 開かれた。
講師は 日本 のコント ラクトブ
リ ツジ のプ ロの車分け である
、
黒川晶夫先生 で 厳 しくも楽
し い 一時 であ った ︵
次ページイ
。
段目、もの写真︶
、
③ ケ ープ タウ ンで 喜望峰と
ケ ープ 半島 の 一日観光 OPに
。
参加 した 世界 の海岸線 の中
で最も美 しい岬と いわれるケ
ープ 半島と、 アザ ラ シ200
0頭が 生息するド イガ ー島を
(春号)
3月 第31号
次段右 の写
峰 を OP で訪 れ た ︵
、
真は ケ ープ オブ ホ ープ から眺望 し
。
た重量 峰 ︶ 窪 題 峰 が ア フ リ カ
0 m
⑥ ケ ープ タ ウ ンか ら 5 k
南 へ延び たケ ープ 半島 の突端
にあ る美 しくも荒 々しい喜望
、
小型船から間近 に見学 し ア
フリカ ペ ンギ ン3000匹 の
生患地と して知られ るボ ルダ
ーズ ビ ーチを見学 した ︵
左の写
。
首じ
2012年
ングステイ横浜 会報
ロ
二ο惚 勧仰 乃筋れ,岡
大睦 の最南端と いわれる こと
、
が あ るが 実際 には東南東 へ
mのアガ ラ ス が
15 0 k
岬 最
。
南端 であ る
、
② サ ント リーニ島は 数ある
エーゲ 海 の島 衆 の中 でも特 に
。
人気 の高 い島 である 赤茶け
、
た断崖が 壁 のようにそび え
そ の上に彗 のように輝<白壁
の家 々と の コント ラストが 臨
左の写百蔭 、サン
力 の島 である ︵
。
トリーニ島の上陸地点︶
一“
ヽ
イア の町と ワイ ン博物館を
。
巡る OPに参加 した イア の
町はサ ント リー エ島 の北端 に
、
位 置する小さな 町 であるが
白 い壁に着 い屋根 の数会や 民
、
家が 段泉に遵なり 落ち つい
たメ ル ヘンチ ツクな雰囲気 を
。
験 し出 している 通りにはみ
、
、
やげ 物店 アート シ ョツプ
。
カ フ ェなどが立ち並ん でいる
③ 中 世 に隆 盛 と 栄華 を護 っ
、
たア マルフ イ︵イタリア︶
は
そ の海岸線が世界 一美 しいと
左の
いわれ る世界遺産 であ る︿
。
写首本
︶ 緑豊か でき らめ く海 ヘ
、
と張り出 した地 形 特徴あ る
芸術と建築 の宝庫 である こと
、
から 世界 で最も有名な 町 の
。
一つであ る
次段右の写真は
◎ パナ マ運河 ︵
、
3
複線の同運河︶は 長 さが 約 8
m
k で間 門 に よ り 水 理 を 増 滅
させ水位 を合わせ 通航 するシ
、
ステムにより機能 し 大西洋
。
と太 平洋を つな いでいる 1
。
914年に運 行を開始 した
、
カ リプ 海側から通るとき
ガ ツンロ ツクで 三つの関閉式
6
闇 門 に よ り 一気 に 2 m上が
リガ ツン湖と同 じ高 さにな っ
、
てガ ツン湘を演 り ペド ロ 。
、
ミゲ ル・ロ ツク で9 m下が り
ミラフ ローレス ロ ツク の二つ
7
の間 関 で 1 m下が り 太 平 洋
。
と 同じ高さ にな る 約7時 間
、
かけ て通過 したが つぶさに
左の写
観察 す る ことが できた ︵
。
真は閣門︶
ょ
■E■EB
/″ Aロ コ
ヤ
キ
。
① 赤道祭 に出演 した 小学校
の学芸会 以来 の芝居出演 であ
。
る 長期 ク ルーズ では恒 例 の
、
行事 と のこと で 赤道祭 は全
ての海 の支配者 である龍 王様
、
に 北半球と南半球を つな ぐ
、
赤道 通航 の際 船 の無暮を祈
って献 上する芝居 である。 そ
の芝居に北海王 の役 で出演 し
、
。
た 北海 王は北太平洋 北大
、
西洋 北氷洋を治め ている王
。
様 であ る 緑習が短 期間 であ
った こともあり、 アド リブ の
、
連続 で大 喝采を浴び なが ら
0
左の
約 5 分 の芝 居を終 えた ︵
。
写真は赤道 祭出演者 の揃 い踏 み 中
。
央緑色 の衣装を着 たのが 私︶
追記
費 用に ついてご参善ま でに
。
紹介 いた します 半分くら い
参加 ︵ほかは自分 で行動 ︶し
、
8
た OP代 4 肩円を含 め 一人
当たり の船旅料金は 308方
、
。
円 なお アル コールや 土産
。
代は含まれ ておりません
本 郷台 分 会
大 島 亨 8 東子
旅 の滑 り 出 しは ・ ・ ・
、
それに しても 昨 日は成 田
か ら マイ ンツのホ テ ルま でス
。
ムーズ にたど り着 いた
0
年後5時 4 分ほフ ラ ンク フ ル
ト空港 到薔後、動 く歩造 から
、
5
入管 を 1 分 で遇過 スー ツケ
ースを 受け 取 ってそ のまま空
、
港ビ ル の3階通路を 通 って
関通 し て間もな いド イ ツ鉄適
。
高速 列車 のホ ームに向かう
途中ド イ ツ鉄道 の旅行セ ンタ
ーを 見 つけ、 ユーレイルパ ス
を バ リデ ーシ ョンしてもらう
、
と あと 5分 でマイ ンツ行き
。
が 劉薔す ると のこと ホ ーム
、
に急 ぐと ち ようど高速 列車
。
が 滑り 込ん でき た 飛び 乗 っ
。
5
て ︲ 分 で マイ ンツ到着 駅前
のホ テルに2∼ 3分 です ェツ
、
ク イ ンでき た ので 空港 劉善
から 1時 間程度 でホ テル の部
。
屋ま で到着 でき たようだ
ド ウ
ナ
源
泉ヘ
川
6
早 朝 7 時 5 分 に フ ラ イブ
、
4
ルクを立 って 8時 4 分 に黒
い森 の真 ん中 のト リ ーベルク
。
駅に到着 駅前 は何 の施 設も
、
な < バ ス停がぽ つんと立 っ
。
ている 時刻表を 見ると バス
。
は 1時 間以上来な い ホ テル
に電話 し てタク シー の運えを
。
、
頼む や ってきた のは 快活
で手 早く スーツケ ース2個を
車 のト ラ ンクに収めた書者 の
。
0
運転手だ った 9時 2 分ホ テ
。
ル着 荷 物を部屋に収め て街
。
へ出る 森 の中 の小さな 町だ
、
が 夏冬 のシーズ ンには リゾ
ート客 であふれ るようだ。本
場 の産地だ けにカ ツコウ時計
。
の店が た くさん並ん でいる
近 く の店 で昼食 のパ ンや ハム
、
、
やサ ラダ 果物 ケ ーキなど
を 買 って部 屋 のベラ ンダ から
。
通りを眺めなが ら昼食をと る
、
年後か らは 黒 い森 博物館
で特 異なカ ーニバ ル衣装と仮
面など の民族伝統 の展示物を
、
。
見学 した また ド イツで 一
番落差 の大き い ︵にわかには
。
滝を見物 した
信 じが た いが ︶
確か に 下からは数十 メート ル
。
登 って行 った この流れが や
が てネ ツカ ー川に合流す るも
。
のと 思われる
、
ホ テルに帰 ってからが 本
。
国 の議襲要事項が 待 っている
あす のドナウ源泉 探訪ド ライ
、
プ のタクシ ーを確保 し 代金
。
を交渉 する ことだ ホ テルは
町 の大通りに面した市庁 舎前
、
の4階建 てビ ルの3∼ 4階 で
0
全 部 で 1 室 の小 さ な ホ テ ル
、
。
0
だ 経営 者は 3 代 の女性 で
、
ベ ツド メーキ ング か ら受付
朝食 の支度 とす べ て 一人 でや
って いる ので常 に忙し い。
、
そ こで こちらから朝食を
、
準備 する調理室ま で出向 いて
明 日 の用件を手短 に説明 して
。
頼 んだ
、
すなわち 明 日タク シーで
ドナウ 川 の源泉地域を 一周 し
。
た い こと タクシ ーは年前中
。
の貸 切とす ること 代金 はど
れくら いかと闘くと 100 ユ
︱ □くら いだと いう ので10
。
0ユー 日以内を希望する こと
、
でき れば 今朝 のタクシ ー の
。
運転手が 良 いこと
。
夕農前ほ返事が来た 朝 の
、
運転手は 年前中 の定例業務
。
が あ って不可 別 のタク シー
。
。
が来 る 英 語は 話せな いかも
そ の他 の条件は オ ーケ ーと の
。
こと いよ いよ明 日はド ナウ
。
源泉 だ 早寝しようと思うが
。
気 分高場 今夜もビ ールを 1
。
リ ツト ル飲 んだ
。
。
朝だ なんと霞と稲光だ
。
大文夫か 朝食を終わると雨
。
。
が 止んだ 9時 通りを 見 下
。
ろすと タクシーが 来 ていた
。
いよ いよ決行だ
0
運 転 手は 6 代 後 半 と 思わ
。 、
れ る地場 のお っさんだ 宰逮
あらか じめ 用意 したドイ ツ語
の訪閣順 の訪閣先 リストと訪
闘先 の写真 入り の源豪地域 一
周 のドラ イプ コース の地 図を
。
渡 して説 明す る ﹁あ ︱﹂とか
﹁う ︱﹂とか言 いなが ら コー
、
スを指 でたばり 理解 した よ
。
うだ
出発後 5倉 で第 一訪閣場所
9
のカ ツコウ時計 の家 に書 く
さ らに5分後ほ第 二のカ ッコ
、
ウ時 計 の家 に着き それか ら
かな り走 って第 3場所 のプ リ
ーク川 のドナウ源泉 に着 く。
、
本当 のドナウ源豪を見 て そ
れを証 明する石碑ほほめ られ
たプ レ ートを読 みなが ら感 慨
。
にSける
。
これは順 調だ これなら 予定
より 早く 一周するだ ろうと 思
っていた失先に予定が く る っ
。
た 源泉か ら流れ出た若 い小
川を見 るために指定 した 場所
、
を 途中から見 つけられな く
、
。
な り 長時 間走 り回る ここ
、
だ ここだと地図を指さ し ても
老 限ら しく眼鏡 を取り出 した
。
が よ く見えな いらしい
、
や っと 穣家 の人を捕ま え
、
て闘 い てみると 源泉か ら流
れ出た本流に合流す る支流 の
一つを途中からさか のぼ って
黒い森出中の ドナウ川の源泉
こ
ド
ツあ
イ
ち
ら
ち
ら
昼間だが 人通り の少な い大
、
通り で 反対側 の歩道か ら 4
、
車線 の車遵を横 切 って 大き
な男が こちらに向か って近づ
。
いてき た 通り過ぎ る のだ ろ
、
うと思 っていたら 私に向か
って何やら声をかけなが らど
。
んど ん近づ いてくる 私は危
険 を 感 じ て 大 声 で ﹁オ ー ノ
ー!﹂と叫 んだ。 すると大男
はすご すごと通り過ぎ て行 っ
。
てしま った
、
やれやれ ド イ ツ劉薔 の翌
日か ら これ では前途多難だ と
、
、
思 ったが のち に 駅 の通路
など でも同様 の光景を目に し
。
、
た そ こで劣か った ことは
ど うや らド イ ツの物を いは教
会 の入り 口に座 ってお恵 みを
、
待 っている のではなく 自 分
。
か ら出向 いていくようであ る
、
そし て 自分 の窮 状を切々
。
と訴 える 相手もそれを 3分
、
以上も じ っ<り閣 いてから
窮状 に応 じて? しか るべき金
額を さりげ な く握 らせ ている
。
よう である これが ド イ ツ流
。
のようだ
カ ッコウ時計の家
て春 早 )
3月 第 31串
2012年
ングステイ横浜 会鞭
ロ
確
―十 二θ昭 品呼 協筋力α秘
。
いた ことが 判 明 した だ いS
、
横 道 に そ れ て走 って いたが
、
こ こか ら 再び 本 来 の コー ス
、
。
を 走 り始 め た そ し て ほぼ
予定 した 訪 問場 所 を 一周 し て
。2
ホ テ ルに た ど り書 いた 1 時
。
0
3 分 であ った
そ こ でタ ク シ ー代 の交 渉 で
。
あ る こち ら は 1 0 0 ユ ー ロ
、
と い っても 予定 通 り□ れ れ
ば 1 2 0 ユー 日程度 は払 お う
、
と 思 って いたが だ いぶ 横 道
。
を 走 った のは事 実 であ る
﹁ホ テ ルか ら は 1 00 ユ ー
、
ロと 聞 い て いるが それ でど
、
う か ﹂ と 閣 くと 運 転 手 は赤
、
ら 顔 を やや 紅 潮 さ せ て ﹁そ う
は い っても 1時 間も 余 分 に走
、
り 距離 も 2 0 0キ ロ走 った
、
の で 1 5 0 ユ ー ロいた だ き
た い﹂ と 同 じよ う な こと を と
。
つと つと 繰 り 返す
距離 は 1 0 0キ ロも走 って
、
いな いと 思 った が 当初 予定
の5割 増 し く ら いは 走 った よ
、
うな ので 日本 の相 揚か ら 見
、
ても 割 安 でも あ り お っさ ん
、
の熱 意 に も 員け て 先方 の言
い値 の1 5 0 ユ ー ロを 支 払 う
。
こと に した
案 内 して くれ た運転手 と
。
お っさんはご機嫌 であ る 私
、
はと いえば はるば る訪ね て
き た 2 つのドナウ の源泉 を見
、
る ことが できた し お っさ ん
が 自主的に案内 し てくれた ヨ
ー ロ ツパ分水嶺 の標識 のあ る
峠や白川郷 のような 黒 い森 の
、
農家 の伝統的な住居 今後お
そらく 日本人が 行かな いであ
ろうフ レ ーク川 の支流 の小川
など 予定 外 の風景ま でも楽 し
、
。
めた ので 私も満足 であ った
バ ンベ ルクを 歩 く
今 回 の旅行計 画を作成 して
、
いる中 で いく つか の理由 で
ど う し ても行 ってみた い衡が
。
。
出 てき た バンベルク であ る
5
7時 4
劣 に ニ ュル ン ベ ル
、
。
3
クを出 て 9時 3 分 に着 いた
、
駅前は新市衛が 広が ってお り
旧市 街は マイ ン ・ドナウ運河
。
を演 った先にある 目的 の 一
つであ る ﹁大聖堂 へ﹂と言 っ
0
て タ ク シ ーに 乗 る と 1 分 足
。
らす で書 いた
0
大 聖 堂 の見 学 は 9 時 3 分
、
か ら可能だが 中に 入るとま
。
だ 誰も いな い 暗 く てほとん
。
ど何も見えな い ほどなく若
い聖職者が 2人 で観光客 の受
、
け 入れ準備をは じめ ド イ ツ
。
人 の団体が 入 ってきた
明かりも いく つか点灯され
、
。
た 大聖堂 は千年ほど前 皇
帝 ハイ ンリヒ2世によ って建
、
造されたと のこと で か のリ
ーメ ンシ ュナイダ ー の彫刻 で
覆われた皇帝と妃 のり っば な
、
。
棺が 置かれ ていた また 見
上げ ると太 い柱 の上方 に凛と
した ﹁バ ンベルク の騎士﹂ の
。
像が 我々を見下ろし ていた
祭壇や壁 面に飾 られた彫刻も
。
素臆ら し い な により大 聖堂
自体が 堂 々たる ロマネ スク建
。
築 の教会 であ った
ド ーム広場を挟 ん で向か い
、
側に 司教兼バ ンベルク領主
。
の自 殿が ある 司教領主 の自
、
殿と いう のは ヴ ュルツブ ル
、
クやケ ルンのように なぜ 際
限もな<立 派にな ってみな世
界遺産 にな ってしま う のだ ろ
。
うか 単なる領主 より集金カ
。
が あ ったと いう ことか 中 に
、
は入らす 庭 のパラ圏を通 っ
。
て外に出た
そ して2 つ目 の目的 の出 の
。
上 の修道院 を目指す 途中は
、
ほと んど人通りはな く お い
石 の建造物やド イ ツらしい木
、
組み の家が違な っていて 素
。
購ら しい散歩道だ
城壁 のような建造物が続 い
。
てか ら大きな円扉が 現れた
、
中 に入ると 広 い敷地 の中 に
壮大 な構 え の聖 ミヒ ャエル修
、
。
道院だ だが 2 つ目 の目的
は この中 にある修道院ビ ール
醸造 所 ︵現在はビ ール醸造 博
。
物館 ︶である すぐ見 つか る
、
だ ろうと の予想 に 反して ま
。
だ見 つからな い たまに出会
う人に聞くが 同 じと ころを行
った り来たりして、 ようやく
城壁 のよ うに違 なる建造 物 の
一部が ビ ール醸造 博物館だと
。
、
いう ことが分か った しか し
火躍 日だと いう のにドアが 開
。
かな い たまに通る人に聞<
。
と今 日は休みだと いう なぜ
だ と闘 いてものからな いと い
。
う ほか の人にも聞 いてみた
、
。
が 答 えは同じだ った 推測
、
す るに 博物館 の人は休館 の
。
た め体暇を 取 った そして他
、
の人は 理由を聞かされ てい
、
。
。
な いのだ ろう ああ 残念
せ っか <博物館を見ようと パ
。
ンベルクに来た のに
それ でも修道院内をある こ
ろ迷 っているうちに分か った
、
、
ことは この修道院 の中 には
、
博物館 のほかにピ ヤガ ーデ ン
、
、
、
レスト ラ ン 病院 資料庫
、
大肇堂 に 匹敵する教会 研究
、
施 設などが あり 一つの社会
を形成 し ていると いう こと で
。
、
ある 中世には これに加 え
て小麦畑やブドウ畑などもあ
、
り 十分自給自足 できた のだ
。
ろう 修道院 は大 したも のだ
、
ピ ール博物館 ほ関 しては
︵
、
帰国後も残念な思 いが つのり
ひそか にホ ームペ ージ で博物
。
館 の展示物を見学 した ︶
、
博 物館が 体館 のため 少 し
早 いが第 3 の目的地 に向 か う
。
こと にした バ ンベルクなら
では のラオホビ ール の醸造 所
。
直営 のビ アレストラ ンであ る
修道院 の衰庭から近道 を違
って街 に降 りようと したが、
。
襲庭が 大変広 い 迷 ぬそうに
な りなが ら階段や坂を 下 って
。
ようや く裏 門に出た さ てど
ち ら の道を行 こうかと懸 って
、
いると 中年 の密 のおば さん
、
が 現れ ど こへ行< のかと闘
。
、
く 店 の名前を言うと 近く
、
だか ら案内 してくれると 言 い
5分ほど で着 いた。
、
そ こは ヘラー醸造所直営
のビ アレ ストラ ン ﹁シ ュレ ン
。
ケ ルラ﹂ である そしてお 目
当 て のビ ールも ﹁シ ュレ ンケ
。
ルラ﹂と いうプ ラ ンド これ
は バ ンベ ルク特産 のラオホビ
ールを代表するプ ラ ンドだ 。
、
ラオホとは ﹁煙﹂ で 3年
間乾 爆させた地 元 のブ す の丸
太 でビ ールの原料 の麦芽 を燻
、
蒸 して作 ったビ ールで そ の
。
ためか色 もダ ーク である
小麦 のヴ ァイ ツ ェンと大麦
。
のデ ュンケ ルを注文する 特
にヴ ァイ ツ ェンの生ビ ールは
、
味が 変化 しやす いため 出来
。
立 てが 最高 である 両方 賞味
したが、 やはリラオホ独特 の
スモーキ ーなうまさが後 を引
。
/
\
店 内 は 日本 の居 酒屋 のよ う
ラオホビールを飲む
(暮 号 )
3炉]第 31号
2012年
ロングステイ横浜 会報
__室 とど客rS協切′Iあたoみ″初
、
0
な作り で 1階だ け で 5 人以
、2
上座れ るが 4 時前 でほとん
。
ど客は いな い それ でも先客
3人と の相席 のテーブ ルほ案
、
。
内 され た 闘けば 先魯 は こ
の店 の近 <に住む夫 婦とそ の
、
隣 のおかみさんと のこと で
しぼ しば この店 で近 況報告会
。
を しているようだ
、
店 の入り □近 くには 小さ
な丸 テープ ルの立 ち欽み痛が
、
あ り ここにも常連 と愚われ
る赤 ら顔 でピ ール腹 のお っさ
、
んが 新 闘片手にデ ュンケ ル
。
を飲ん でいる これは いかに
、
もと いう感 じな ので 写真を
撮 らせ てくれな いかと言 うとい
いいと もと いう感 じで ここが
、
いいだ ろうと言 って 自分か
ら こ の店 の出来客掲げ た藍掛
け の前 でポ ーズをと ってくれ
。
た
やは り この店は地 元 の鶴が
、
多 いようで 常連客 の指定席
に勝手に入り込ん でしま った
、
ような気 分もあ ったが 店 の
、
奥にあ る配送受付窓 口では
世界各地 にま で配送を受け付
。
け ているようだ 夕食用に5
00斌ビンを2本買って店
。
を出た
、
第 4 の目的は 第 二次六戦
。
9
てゆく 9時 3 分に バスに乗
。
り換 える駅に劉書 乗魯 の列
。
を駅 員が バスに誘導 する な
、
るほど これ では乗車場所を
。
送 う ことはな い ド イツ鉄適
の振 り替 え輸送 バ スが 4∼ 5
、
台駅 の横 に並ん でいて 乗磐
の列が 順番にバ スに乗車 して
。
いく 私も 3台目くら いのバ
、
ス の後 る のほうに席を取 り
、
。
出発を待 っていた そ こへ
先 ほど の電車 の車筆が 乗り込
、
ん で 乗害 を見なが ら後 るに
。
進 ん でき た これ 懸奪摩 も 一
、
緒 ほパ スで移動 して 次 の乗
換駅か らまた車掌をする のか
、
と憲 っていると と うと う私
の前 ま で来 て黒 いも のを差 じ
。
出 した な んとそれは私 のめ
。
が ねケ ースではな いか 感謝
、
。
感激 平島低頭
予定 外 のバス ツア ーでド イ
、0
ツ南部 の村々を巡 って 1
時
1
1 分 に 再 ぴ 電 車 に 乗 り薔 え
7
的 時 5 分 にガ ー ル ミ ツシ
ュ ・パルテンキルヘンに到着
した。ここから登山電車に乗
、2 0
り換え 1
時 3 分に出頂に
。
到着した 出頂は快購で気温
2度。遠くの出々やるもとの
湖などを勇ながらのビールは
。
まさに気公爽快
Schlettne、
aセrrkeh,(SFV)
THと1コ
唱∼Wdthjm
振誉 輸 送 の 予告 パ ンフ レ ッ ト
5 5
︲ 時 4 分 に ア イプ 瀬 に 下
、
、
り 再ぴ バス乗り換 えを経 て
9 0
︲ 時 3 分 にホ テ ル の駅に帰
。
り いた
雷
そ の途中 の帰り の範車 の中
、
で デ ツキにあ るパ ンフレ ツ
ト 入れ のパ ンフレ ツトを固気
、
、
なく廃 いてみると なんと
それは今 日 の振り書 え輸送 の
。
予告パ ンフレ ツト ではな いか
、
前 Bにも確認 し 当 日もサ
ービ スポ イ ントや旅 行セ ンタ
ーで簡 い合わせた のに、なぜ、
このパ ンフレ ツトが 提 示され
。
なか った のだ ろうか
172.-12ど13.│.2仰
日',
WahFend der PrinBstFeri●
●
しかも、パ ンフレ ツト の時刻
、
表をよ く見ると 我々が 乗 っ
2
2
た 9時 1 分 発 の前 に 8時 4
。
分発があ る ではな いか 朝 8
時過ぎ にサ ービ スポ イント で
、
閣 いたとき に このパ ンフレ
ツトを 関 いてくれれば、 8時
2
︲ 分 発 に 乗 って当 初 の予定
0
通 り に 付 時 3 分 に 出 頂 に立
。
てたわけ である
この日は帰りに近く のス ー
、
、
パ ーでやきそば 白 アスパ ラ
、
ツーセ ージ ビ ー ルなどを震
Kursbwhstrecke 960
でも爆撃を免れた 千年 の旧市
。
街を歩 く ことである 街 の実
ん中に対が流れ ている のは気
、
持 ちが いいも のだが かなり
の激 流 のレグ エ ツツ川 の英 ん
。
中 に 旧市庁舎が 立 っている
。
なかなか の察 観
そ こか ら州沿いを少 し下 って
いくと漁業地区 ﹁小ヴ ェネ ツ
イア﹂が あ る。書 のクレ ーン
、
が 今 でも保存され ている ので
ここから獲れた魚 を水揚げ し
。
ていた のであ ろうか
これ でバ ンペルク の衛歩き
。
は終 わ った 明 日は ミ ュン ヘ
ンヘ移動 する ので早めにホ テ
、
ルに帰 り 体蓑 す る こと に し
。
た
8時ご うにミ ュン ヘン駅ほ
、
着き 昨 鶴確認済 み のホ ーム
、
の表 示板を見ると 目指 す列
。
車 の表 示が 出 ていな い
本 ︱ムのサ ービ スポ イ ント
、
で簡 い合 わせると この時刻
、
の電車はな いと言 うば かり で
昨 日入手した時 刻表を見せ て
。
も 要領を得な い
そ こで旅行セ ンタ ーのフ ァ
ーストクラ ス窓 □で聞 いたと
、
ころ この路線 は 工事中 で次
5
の 電 車 は 8 時 3 分 では な く
、
9時 2
1 分 で しかも途中 でバ
スほ乗り換 えると いう話だ っ
。
た ド イ ツ鉄道 のシステム で
はバ ス停 の場所は簡単にプ リ
ント でき る のを 知 っていた の
、
で プ リ ントを依頼するとプ
、
リ ント はな いが 駅前な ので
。
す ぐ分か ると いう
、8
そ こで 2 番ホ ームで待 つ
が 発車時刻が 近づ いても電車
。
が 入 ってこな い 表示板 にも
、
表 示が なく これは おか しい
0
と 愚 って見 国 す と 3 番 ホ ー
。
ムに電車が あ った 急 いで走
っていくとホ ームに いた車掌
、
。
が これだ と言う また ア メ
、
リカ在住 の中国人が 自 分も
ガ ールミ ツシ ュ ・パ ルテ ンキ
、
ル ヘンに行 くが この電車 で
間違 いな いと教 え てくれた の
、
で や っと 目指す電車 に乗れ
。
たと安轄 した
フ ァースト車両はさき ほど
の中 国人夫婦 以外は ほとんど
、
案魯が なく それ でも検札に
来 る車掌は手抜き なく検札 じ
田ほ3Bchen―GamiscF■
川の良ん中にあるIB市庫含
最 高 峰 に 登 る のは 大 変
、
朝 6時 に起き て 東 の空を
、
。
見 る 雲 の流れが 速 いが 晴
。
れ ている 昨 Bは朝 から小雨
が 降 っていた ので登出を見送
ったが 、今 日は いよ いよ最高
峰 ツーク シ ュピ ーツ 王登出を
。
決行す る ことにす る
出頂から出並みと潮を見渡す
立ち飲み席の常連魯
(春号 )
第 31号
2012年 3月
ングステイ横浜 会報
ロ
Lθコ
照駒9サ乃筋筋aF
って帰り、当初 予定 より 1時
。
間違 い夕食をと った
、
ビ ールを飲みなが ら 今 日
。
の登山を振り返 った 登山は
、
楽だ ったが ふもとに行くま
、
でが 大変だ った ことや ド イ
ツ鉄道 では 列車 の運行部 門と
保線 工事 部門 の連携が十分 で
。
はな いと思われ る ことなどを
で財を成 した大金持ちが いた
、
が 世界史 の教科書 に の って
いた フ ツガ ーさ ん の顔をご 記
。
憶 であ ろうか
、
4
私は そ の日 8時 2 倉 ミ ユ
、
ン ヘン発 に乗り 9時 1分に
。
アウグ スプ ルク駅に劉督
、
駅前 の通りをど んど ん進 み
二つ目 の大きな交差点を右 に
曲が ってフ ッガ ー家 の銀行 の
、
前 を通 って先に進 んだが 目
。
指 す美術館は見 つからな い
、
行き 過ぎ たと思 い 銀行 の手
、
前ま で戻 ると そ こにきれ い
。
な建物が あ った 入 □のプ レ
ートを見 ると、 いく つかある
施 設名 のなかにバ イ エル ン州
。
立 絵画館 の名前が あ った
しか し、ド アは 閉 ま って いる 。
0
1 時 の開 館 ま で少 し散 歩 し
、
て戻 る と 入 □ の大 扉 は 閉 ま
った ま ま に な って いる。
、
変 だ な と 思 い 押 し てみ る と
ド ア は 開 いた の で驚 いた 。 右
側 の ミ ュージ ア ム シ ョ ツプ の
女性 に絵 画館を 見 に来たと 言
、
うと 近 くにいた庭師 のよう
な男が担 当 の女性を連れ てき
。
、
た 早遼 私が彼女 に ア ルブ
レヒト ・デ ューラ ー の ﹁ヤ コ
フ ・フ ツガ ーの肖像 ﹂を見に
、
来たと いうと さあ大変と い
う風な感 じでとりあ えす識々
を自 殿 の中 ︵
絵画館は自 殿 の
、
中 にある︶に案内 し 立 派な
螺旋階 段を上 った広間に待た
。
せた しば らく待 っても来な
、
いので入 □に一
戻 ってみると
何やら切迫 した様 子 で長 電話
。
を している シ ョ ツプ の女 性
は 私を見なが らにや にや し て
。
いる 担当 の女性は 三階 に戻
、
り カギを 取り出 し て大き な
ドアを開けた。ます この部屋
。
を見 てくれと いう これは ベ
ルサ イ ュ自殿 の鏡 の間 の小型
。
版 で増 くほど豪華 であ った
、
後か ら分 か ったが マリア ・
テレジ アに財政受援 していた
、
銀行家 リ ーベルト の自 殿 で
、
落 成 祝賀 舞 踏 会 には マ リ
ー ・ア ント ワネ ツトも出席 し
。
たら しい と ころが 私は ﹁デ
ューラーはまだか ﹂ である。
散は何やら時間稼ぎ を してい
。
る そ こへようや <担当 の女
、
性が 現れ ﹁大変お待たせ しま
、
した さあどうぞ﹂と言 い、
。
先に立 って案内をする 来館
。
者 は他 に誰も いな い 学芸員
ガ イド付き の美術館貸し切り
。
デ ューラ ー鑑賞会 とな った
、
そ し て アウグ スフ ルク出
島 のホ ルバインの傑作が数多
、
く並 ぶ部屋 の先に 典か ら2
番目 の部 屋 の正面 の大壁 面に
、
ただ 一枚 アルブ レヒト ・デ
ューラ ー作 ﹁ヤ コブ ・フ ツガ
。
ーの肖像 ﹂
が掲げ られ て いた
、
、
それ は 厳 しさ 意志 の強
さなど人 の内 面ま でも描き 出
すデ ューラ ーのまさ しく傑作
。
のひと つであるうと感激 した
旅行 に持参す るも のも年々
、
、
変化 し ているが 今回 私が
新た に持参 したも のはミ ニノ
、
ートパ ソ コン︵
ネ ツトブ ツク︶
、
GPS 電気調理鍋 など であ
。
る
パ ソ コンの利用法と して
おわりに
ご 対 面ま ではだ いぶ待たさ
、
れたが 帰 りには大満足 で何
度もお 礼を言 って絵画館を後
。
に した 館長は最後 ま で現れ
、
なか ったが 高価な芸術作品
や文化財を所蔵 している部屋
の扉 のカギは何らか の方 法 で
。
取り出された のだ ろう め で
。
たし
ヤコフ ・フ ッガーの滝像
美術 館 は 閑館 す るか
これま でも海外旅 行 の際 に
、
は そ の国 の主要な美術館に
。
立ち寄 る ことを常 と してき た
ド イ ツでは今般、 ミ ュン ヘ
ンのア ルテ ・ピ ナ コテークが
長 い 工事 を終え てようや く再
、
び 開館し また栗 西 ベルリ ン
。
の美術館が再編 ・
新 設された
、
そ こで 今回 のド イ ツ旅 行 の
主 要 テーマの 一つに美 術館巡
。
りを掲げ た
、
それもデ ューラ ー クラナ
ツハ、ホ ルバイ ン、 リーメ ン
シ ュナ イダ ーなど ルネ ツサ ン
、
ス期 のド イツの画家 彫刻家
。
を中 bに見 て回る ことに した
、
そ の結果 文化 フ オーラム総
、
画館 ︵ベルリン︶ アルテ ・ピ
、
ナ コテーク ︵ミ ュン ヘン︶ シ
ュテーデ ル美徳館 ︵フラ ンク
2
フルト︶など 1 の美術館を回
ったが、ど の美術館 もま こと
に素晴 ら しい所蔵 作品が 展示
。
され ていて大満足 であ った
、
アウグ スプ ルクと いえば
、
書 フ ツガ ー家と いう金融業
ブヽイエル ン州立絵画館
(春号)
3月 第31号
2012年
ングステイ横浜 会報
ロ
えoな 助 ν拘筋施22
、
① 家族と のメ ールや いく
つか の所属するグ ループ から
自宅 のパ ソ コンに入るメール
ヘの返信
② 日本 のニ ュースを見 る
③ カ メ ラ で撮 影 した 写 真 や
、
ビデ オをパ ソコンに取り込み
保存 する ︵さらにフラ ツシ ュ
メ モ リ ー に も コピ ー し て お
く︶
、
④ 旅行 のスケジ ュール 行動
、
予定表や訪間予定先 の資料を
訪間予定 日付け順に整 理 し て
、
保存 し てお く ︵
旅 行資料は
プ リ ント した ハード コピ ーも
、
、
持参 し ており 毎 日 当 日 の
0
資 料 3 枚 程 度 を ハガ キ 入 れ
、
用 のク リアフ ァイ ルに入れ て
見なが ら行動する︶
⑤ ホ テ ル の予約 確 認書 を 全
日程分パ ソ コン内 に保管 し て
、
おき 万 一キ ャンセ ルの場合
、
は そ こに記載 のキ ャンセ ル
用アド レ スにメールすれば よ
い体制をと った
⑥ カ メ ラや廃 帯 そ の他 の持
参 品 の取扱説明書 をすべ てダ
ウ ンロードして保管 した
フ回 の旅 行 に関 係 す る と
⑦ ︵
思われるアド レスを リ ンク集
、
にして保管 しておき 財要に
応 じ て短暗闇 で調査 でき る体
制をと った
、
な どがあげ られるが この
、
サポ ート体制 のおかげ で タ
食後ホ テルで臨 単に翌日 の下
、
調 べが でき 日々 の予定が 円
滑に実行 できた ように感 じて
。
いる
ベルギー王国
食べ歩きの記録
('07.06.04 - '07.06.18)
戸塚分会
岡谷繁興
﹁地球 の歩き方 ﹂に代表され
、
るガ イドプ ツクは 情報量が
、
少な いうえ 情 報 の質もあま
、
り良くな いと言う人も いるが
玉石混交 のウ エブ サ イト の情
、
報を除けば 我々は ﹁
地球 の
歩き方 ﹂以外 の情報源が な い
情報 源は ?
、
2 007年 の夏 ベルギ ー
、
を訪れたとき レストラ ンに
ついてあ らかじめ講 べてか ら
、
、
出発 したが そ の情 報源は
か の有 名な ﹁
地球 の歩き方 ﹂
、
と これも知る人 ぞ知る “旅
名 人ブ ツク ス , シ リ ーズ の
。
﹁ベルギ ー美食紀 行﹂
だ った
旅先 の街 のど この店 で食事
を した らよいか?
、
これが 実 に難 しく とりわ
、
け海外旅 行 の揚合 三度と訪
れ る ことはな いであろう この
、
街 に来た のだから ち よ っと
、
、
変わ った店 有名な店 友達
などに自慢 でき るような店 で
食事 した いと考 える のは誰 し
。
も 同じだ
ガイ ドブ ック片手 に
、
ので このガ イドブ ツクを頼
。
りにせざ るを得な いのだ
、
また ガ イドブ ツクなどを
、
頼りに しな いで 行き当たり
、
ば ったり 良いと思 った レス
ト ラ ンに飛び 込めば よいでは
。
な いかと言う人も いる
、
確か にそ のとおりだが 限
られた時間と予算 で旅す る私
、
と し ては 初め て の街 で食事
をする店 を探してうろうろす
、
る のは時 間が も った いな いし
。
懐 の心配もある
、
そんな ことを愚 って あら
か じめ この街 では この店 で食
事 を しようと心に決め て出か
。
けた
レ ス ト ラ ンを 探 す
、
と ころが いざ お 目当 ての
、
店 に行 こうと ガ イドブ ツク
の地 図を片手に初め ての笛を
、
歩 く のだが そう簡 単には目
。
的 の場所にたど り曽かな い
店 の場所を何人も の人に闘
、
い て や っと の思 いでたど り
。
着 いた ことが 何度もあ った
、
こんな ことなら 自分 の五
、
感 を働かせ そして第六感 を
頼 りに して食事 場所を選んだ
ほうが よか ったと思う ことが
。
あ った のは事 実だ
、
レ ストラ ン選ぴ は 私 のよ
うにあ らか じめ謂 べてか ら旅
、
、
に出 る のもよいし 旅先 で
この店 は良さそうだと いう直
。
感 に頼 る のもよ いであ ろう
、
旅 する人 の性格 により 回
から何ま で計画を立 てて行き
、
た い人と 出たと こ勝負 で旅
、
を した いと思う人 の 二通り
。
ある
、
計 画が 好きな人は 旅 行計
画を立 てているときが 至福 の
、
時 であり 出たと こ勝員 の人
、
は 旅先 でレスト ラ ン選び に
。
一番労する のを楽 しむようだ
、
結 局 どちら のやり方 でレ
、
スト ラ ンを 選ぼ うが 旅 の楽
しさ に変わりはな いと いう こ
。
とか
両替 の実際
旅 に出 る
、
0
4 日前 2 0
07年 5月
、
郷 日 円をユ
ーロに両薔じ
。
た
横 浜駅 西 □
の 三菱 U F J
フ ィナ ンシ ヤ
ル ・グ ル ープ
の外 貨 両警 専
、
門店 ワールドカ レ ンシーシ
、
ョツ
レ ートは 1 ユ
プ
算
の
換
6 銭ヽこれに
I Dが 163円 6
1 ユー ロ当たり 4円 の手数料
、
が 上乗せされた ので 私 の財
布 の中 の1 ユー ロは 167円
。
6 と うこ
とにな る
6銭 い
1千 ユー 回分 の円を窓 日 の
、
女 性 に 払 うと ﹁ユー ロ現金
C 2 00﹂と表書きされた封
。
簡を 5 つ演された
0e
1 つの封筒 の中 身 は 5
、
0
札と 1 C 札が 3枚 す つ 5
C 札が 4枚 入 っていた。
、
海外旅 行に出かけ るとき
ど のようにしてお金 を 用意 す
、
、
るかは人それぞれ で 私は
知らな い外国 の衛 での面替 す
、
る のは面倒だと思 い 出発前
に必要なお金 の大部 分をあ ら
。
か じめ ユーロに両替 した
、
、
ただ し 6月7 日 現地 で
一度だ け銀行 の窓 □でみすほ
銀行 の国際キ ャ ツシ ュカ ード
。
を使 って ユーロを引き出 した
C i rrus ︵みす ほ銀行
、
は シーラ スと称 しているが
英 語圏 の人はサ イラ スと読 む
のだ ろう︶ マークが ついた A
︲
TMで3き出した ユーロの換
、
4 ヽ
算 レ ートは 17 0円 8 銭
、
この換算 レ ートは カ ード会
、
、
社 ViSA社 の手数料 約
0 と
1層 5
銭 現 池 銀 行 の手 数
。
料が含 まれ ている
、
さらに みす ほ銀行 の季数
料 210円が 円価 で私 の預金
︲
、
か ら3き落とされた ので 結
、
電 1 ユーロを手にする のに
、
8
私が 払 った円は 171円 6
。
銭だ った ことになる
、
横 浜 で両番 した 1 ユー ロは
、
6
167円 6
鱗だ つた から 面
替 した 日にちが違 う ので単純
、
に比較 できな いが 両者 にそ
う違 いはなか ったと いう こと
。
にな る
リ エ ー ジ ュに 滞 在 し た
そ の間
、
リ エージ ュを 拠 点
ベルギー南部のフランス語
固であるワロン地方の中心都
、
市 リエージ ュほ住んでいる
、
小野澤嘉秀・
迫江夫妻 の家に
私は反人と2人で2週間滞在
した。
に し て ベ ルギ ー国内 の観 光 地
を 訪 れ た 際 に利 用 した レ スト
ラ ン のう ち いく つか を紹 介 し
。
たい
、
なお 小 野 澤 夫嚢 のお 宅 に
は 既 に 何 組 か のL S Y会 員が
。
お 世 話 に な って いる
フランド ルの “水 の都 ”
ブ ルージ ュのレストラ ン
“デ ・フ イシ エリ ”
∪oくけの命
ゴoユo
、
6月 6日 中世 の面影を そ
のままとどめる ベルギ ー北 西
部 のオラ ンダ 語圏 である フラ
、
ンド ル地方 の観光都市 ブ ル
ージ ュの街 に観光に出かけた。
フ ルージ ュとは “橋 ”の意
。
味 であ る
リ エージ ュ∼ブ ルージ ュの
、
距離は 193愉で 所要時閣
。
はち ょうど 2時 間 であ る
東海道線 では東京 から静 岡
、
の少 し先 漁港 と して有 名な
、
焼津 ま でが 194輸 であ り
、
。
ほぼ 同 じ距離だ ちなみに
焼津ま で の所要時間は3時間
。
半 であ る
美食紀 行 の話が 横にそれる
、
が ベルギ ー国鉄 の運賃は我
が 国 のJR線 のそれと比 べて
。
大変費 い
リ エージ ュからブ ルージ ュ
、
ま での運賃は レールパ スと
0
呼ば れ る 1 回 分 の回 数 券 を
、
使 った場合 ではあるが わす
。
か 115 0円弱 である
6銭
︵
私のl C は167円 6
︶
、
一方 東京から焼津ま での
。
運 賃は 326 0円もする
、
ベルギ ー国鉄 の運行隠線 図
、
時刻表 割 引制度を含め ての
運 賃表は LSY のホ ームペー
ジ に載 っている リ ンク集 のペ
ージ の中 の ﹁
鉄道 ・ベルギ ー
、
国鉄﹂ であ らか じめ調べ メ
モ帳に書き 圏め てから旅 に出
。
立 した
、
話を 元に戻し フ ルージ ュ
の街 で食事 をした店はガ イド
ブ ツクに載 っている人気 シ ー
、
フード レスト ラ ン “デ ・フ
イシ ェリ ,。
、
と ころが ガ イドブ ツク の
地 図を頼 りに店を探 してもな
。
かなか見 つか らな い
、
そうなると当然 店がど こ
にあ るかを人に聞く こと にな
、
り オラ ンダ語はもち ろん の
、
ことと威 張 っては いけな いが
英 語も ろ<に話せな い私たち
、
2人は 道行く人に “デ ・
フ ィシ ェリ ,と違 叩するはめ
。
にな った
、
それ でも何とかなるも ので
3人か 4人目に毒ねた人が指
差 した のでそろら の方角を見
ると
、
な ん とお 目当 て のレ ス
ト ラ ンは す ぐ 目 の前 にあ る で
。
は な いか
、
ち ようと お 昼時 で 大勢 の
観 光 魯 が レ スト ラ ンやカ フ エ
に いる も のとば か り 思 って い
、
た のに こ の店 の書 は 数 組 し
か いな い う えに 上 品 で静 か な
。
雰 囲気 な のだ
これ は 高 い ぞと 覚 悟 を 決 め
て メ ニ ューを 見 ても さ っぱ り
。
分 か らな い
一品 料 理 でも 前 菜 と パ ンと バ
。
タ ーが つい て いた
、
今 日 の高 い昼 食 代 は 私 の
、
財 布 を 直 撃 した け れ ど 店 員
の物 腰 や店 の雰 囲気 は 大 変 良
、
く 料 理 も 絶 品 ・美 味 だ った
。
ので満 足 し て店 を 出 た
、
ダイヤモンドで有名な港町
アントワープ のレストラン
“デ ・フオワイ エ ”
∪o円oくo弔
リ エージ ュ∼ ア ント ワープ
、
の距 離 は 1 1 9 愉 で 所 要 時
間 は ち ようど 2時 間 6分 であ
。
る
m
ブ ル ージ ュま で の1 93 k
、
6 月 8 日 オ ラ ンダ 国蹟 ま
、
0
でゎ す か 3 輸 に位 置 し ベ ル
、
ギ ー の首 都 プ リ ュツセ ルか
5 m
ら北 へ 4 k
のダ イ ヤ モ ン ド
、
と 画家 ル ー ベ ン ス で有 名 な 街
ア ント ワ ープ の観 光 に出 か け
。
た
﹁地 球 の歩 き 方 ﹂ の日本 語
、
訳 の適 否 は 別 と し て 急 行 列
ロ
ユ 9思里o都 市 間急 行
F ご ユ 守 快速 列車
I Rと は、
の列 車 は l R であ るか ら
i Cと は 、
を 2時 間 ち ようど で走 った の
、
に 対 し ア ント ワ ープ ま では
わ す か 1 1 9 輸な のに 2時 間
、
あ ま り か か る のは ブ ル ージ
ュ行 き の列 車が l C であ る の
、
に 対 し て ア ント ワ ープ 行 き
。
、
ガ イドブ ツク の予算欄には
、 0∼ 5
コース料理が 2
3 Cと
書 いてあ った ことを思い出 し
、
なが ら 注文した のは次 のと
。
おり であ る
4
一品料 理 3 ・5 C
グ ラスピ ール 5 ・7 C
水 ⋮ ・︰ 1 ・8 C
、2
合 計 4 C ︵約 7 千円 ︶と
。
チ ツプ だ った
ガ イドブ ツクに載 っていた
、
値 段と此 べ て高か ったけれど
一 品料理 。タラ (鱈)名 物の白アスパ ラ添え
(春号 )
3月 第 31号
2012年
ングステイ横浜 会報
ロ
二ο々 駒け 拘筋筋zr
車より快速 列車 のほうが 早<
。
走 ると いう ことだ
、
なお ベルギ ー国鉄 の列車
には座席指定料金 と快遼 ・急
。
行 列車料金 の設定はな い
東海道線 では東京から 三島
、
、
ま でが 121輸であり リ
エージ ュ∼ アント ワ ープ 間と
。
ほぼ 同 じ距離だ
、
ちな みに 三島ま で の所要
、
時 間は 2時 間5分な ので 我
、
が JR線は ベルギ ー国鉄と
同じ時遠 で走 っている ことが
。
分かる
運 賃に ついて彼我を比 べて
、
みると 東京 ・三島 間 のJR
緑 の運 賃が 2210円に対 し
、
て リ エージ ュ∼ ア ント ワー
プ 間 のベルギ ー国鉄 の運 賃は
2400円だ。
、
ただ 私たちは高 齢者割引
ユ骨 ヨ酔oじ を使 っ
∽o
切符 ︵
てア ント ワ ープ ヘ行 った ので
、
運賃はわすか 4 C 67 0円
。
。
です んだ それも往復 であ る
いか に ベ ルギ ーが 高 齢 者 を
、
大 切に しているか 国鉄運 賃
、
の優遇制度から推 し曇られ
。
羨ま し<思 った のである
、
参考 に この割引 切符は午
前 9時過ぎ に乗る列車か ら有
、
効 で ベルギ ー国内ならど ん
、
なに遠 く へ行 っても往復 で
、
。
4 C 670円である
、
駅 の窓 □で切符を買うとき
、
駅員に ﹁シ エア﹂と 一言声を
、
かけると パ スポ ート の提 示
、
を求め られ ことな く 私 の顔
を見ただけ でシ エア切符を売
ってくれた。顔パ スでOKと
。
は複雑 な出境 の私 である
、
また脱線 してしま ったが
、
話を 元に戻す ことにすると
ア ント ワープ のブ ーラ劇 揚 の
2階 にあ る豪華 な内 装 の店と
し てガ イドブ ツクに紹介され
“
ていた デ ・フ オワイ エ ”
。
で昼食をとると決め ていた
リ エージ ュを発車 した列車
、
は 外 国映 画で見た ことが あ
、
る これぞ ヨー ロ ツパ の駅と
い った感 じ のア ント ワープ 駅
。
に い
着
た
0
こ の駅 は 2
世 紀初 頭 に完
、
成 し ベルギ ーの重要文化財
。
に指定 され ている
私たちは デ ・
フ オワイ エ ”
。
を探 し始めた
、
私が方向吉痴 なせ いか お
目当 て のレスト ラ ンが 見 つか
。
らな い
ガ イドブ ツク の地図にはす
べて の道路が書 いてあるとは
、
限らな いのに ついう っかり
して何本 国 の道を右 に曲が っ
てと いうSうにや ると 目的 の
。
場所にたとり着けな い
外 国 で地 図を頼りに歩 く場
、
合は 通り の名前を目当 てに
、
すれば よ いのであるが 当然
、
のことなが ら ガ イドブ ツク
には す べて の通り の名前は朝
ってな いし、運よく通り の名
、
前が 印刷され ていても 字が
、
小さ いうえに ア ルフ ァベ ツ
ト で長々と書 いてある通り の
名前は著 し<読 みにくい ので
。
ある
やは り人に闘く のが 一番よ
、
いとば かり 歩 いている人を
、
捕 まえ て道 を尋ね ると 曇振
り手振 り で教え てくれるため
、
もあるが 必す しも 正し い答
。
えが 返 ってくるとは眼らな い
(春号)
このレスト ラ ンは市立ブ ー
、
ラ劇 場 の2階にあ り 劇 場特
、
有 の天丼が 高 い室内 で 豪華
。
な 雰囲気 の店 である
、
ガ イドブ ツクには エビ の
ヽ
2
パ スタが ︲ C デ イナ ーで
0∼ 5 Cと
も2
書 いてある の
2
で榛 の心配はしな < てもよ い
。
店 であ る
“デ ・フ 材
ワイ エ ルのテー
。
プ ル ついた のは午後 1時 窪
、
の入りはまば ら で 中年 の品
の良 い女性が 1人と女性同士
。
の客が 数組だけだ った
男性 の結仕が 注文を取りに
。
来 た 一瞬 の緊張が 私 の棒を
。
こ ぽ らせる
わ
、
メ ニ ューに書 いてあ った
︺
雰番 増品の文字 を見 つけ て 一
、
。
安 い ラザ エアと給仕に告げ
、
あわせ て レフ ・プ ロンドと
、
言うと違 じて 押とoロゴp穀
。
が テ ープ ルに運ば れ てきた
、
レフ ・プ 鶴ンドとは 1千
それ でもなんとか して鶴曲
、
“
デ ・フ オワイエ ル
の店
、
にたど り着 いたとき 喉は渇
、
く しお腹は空く しで ふらふ
。
らにな っていた
3月 第31号
2012年
ングステイ横浜 会報
ロ
効惚
二ο竹 挽 ッ肋
種類 以上あると いわれる ベル
ギ ービ ール のプ ラ ンド の1 つ
、
で ア ル コール度 数が若 干高
、
い いわゆる修遣院 系 のビ ー
d
ル カ フ 正で数謝時 の値 段も
ほか のビ ールと比 べ て高 め で
、
あ るが コクが あ って美味 じ
い ので旅 行中 しば しば飲 んだ
。
も のであ る
注文 した のは次 のとおり で
。
ある
6
ラザ エア 9 ・7 C
ビ ール 3 ・2 e
2・ C縄2200じ。
合計1
鏑
、
ベルギ ー の首都 ・プ リ ュツセル
ア ールヌ ーヴ オーの店
“ フ ァルスタ ツフ ”
円出酔妙鳴
、
6月 4
1 日 リ エージ ュか ら
、
列車 に 乗 り 小 便 小 僧 の像 で
、
有 名 な ベ ルギ ー の首 都 プ リ
ュツセ ル の観 光 に 出 か け た 。
ブ リ ュツセ ルに は 小 便 小 僧
、
の妹 の像 も あ るが あ ま り に
美味しかつたラザニア
も観が な いと言われ ているそ
、
。
うだ しか し せ っかく遠 い
日本からは るば るプ リ ュツセ
ルにや って来たからにはと撤
、
、
い 妹 ほ会 いに行 ったと こる
妹 の像は鉄格 子 の向 こうに鎮
。
座 し ていた
、
実 は 妹 の像はガ ンや エイ
ズ 撲競 の研究 の助戯金 を得る
ため の絵薬書に総かれ て販売
。
され ていると のこと
リ エージ ュ∼プ リ ュツセ ル
mで、東京 ・
の距離は 104 k
熱海 間 の距離とま ったく同 じ
奪
であ る
リ エージ ュ∼プ リ ュツセ ル
、
間は 1時間に2∼ 3本 の列
、
車が 運行され 所要皓閣は 列
、
車にもよるが 1臨 闘前後 で
。
ある
、
前 例にな ら って JR線と
、
比 べると 東海道線 に乗ると
熱海ま での所要時 間は普 通 列
5 、
車 で1購閣 5 分 快速 列車 で
、
4
も 打時 閣 3 分 もか か る のは
東海道 メガ ロポ リ スを走る東
海道 線は途中停車駅が多 いか
。
ら仕方が な いと ころだ ろう
、
ちな みに リ エージ ュ∼ブ
リ ュツセ ル閣在 1時間覇 で走
る列車が 途 中 で停 車する駅 の
、
。
数は わすか 2駅 であ る
美食紀 行が鉄遺紀 行にな っ
、
てしま ったが 本題 のプ リ ュ
ツセ ル のレストラ ンの話に戻
≡
ろう. 今 日 の昼食は ここで食 べよ
、
うと決め ていたお 目当 て の店
“ フ ァ ス ツフ は、
”
ル タ
世界
、
遺産 と して知られる グ ラ ン
プ ラス ︵
3弔
pp島 置樹し の近
、
、
く 証券 取引所 の機 にあ り
ア ールヌ ーヴ オー様式 の店 と
し て有 名 であ る。
プ リ ュツセ ル観光は今 日が
3日目 で、 いくぶん土地勘が
、“ ァ
あ った こともあ り
フ ル
スタ ッフ “は いとも簡 単に
。
見 つか った
、
この店 は ヨー ロ ツパ の飲
、
食店 によくあるように 道魅
に面す る歩道に テープ ルが 置
、
いてあり そ こはカ フ エと し
、
て営業 じ 建物 の中はレ スト
。
ラ ンと して営業 し ていた
、
私たちは ガ イドブ ツクほ
、
書 いてあ る フ アルスタ ツフ
が ア ー ルヌ ーヴ オー のレ スト
ラ ンと し て有名と の文旬 に憲
、
か れ てこの店に来た のだ から
、
当然 レストラ ンを選択 して
。
建 物 の中 に入る
2
時 計 は 1 時 を 少 し 回 った
、
ば かりな のに 客は我々2人
。
だけ
有 名な店だ から混ん でいる
かと愚 っていた ので少々拍 子
。
抜 け の思 いだ った
メ ニ ューから何か注文しな
ければ ならな い緊張 した 一瞬
、
を避え ても 置かれた メ ニ ュ
ーはど うや らフラ ンス語と オ
、
ラ ンダ 語 のよう で さ っぱ り
。
分か らな い
ベルギ ーの公用語は南部 の
ワ ロン地方 で話され るフラ ン
、
ス語と 北部 のフラ ンド ル地
、
お で話されるオラ ンダ語 そ
、
れと ご く 一部 ではあるが ド
。
イ ツ語 の3言語 である
プ リ ュツセ ルは フラ ンス語
、
と オラ ンダ 語 の併 用地 区 で
駅名 の表 示も この2カ国語 で
、
書 いてあ る し レストラ ンの
メ ニ ューも この2カ国語 でき
。
いてある
あ いにく フラ ンス語もオ ラ
ンダ 語もさ っぱ り の私たちは
。
困 って しま った
そう こう してメ ニ ューと 瞬
め っこを しているうちにはた
。
と気が ついた ことが ある
。“
そうだ
つ 日 のラ ンチ ”
。
が あ るはすだ
そう思 ってメ ニ ューをよく
、
見ると 7行にわた って順 に
、
書かれた文字が 目に入り 今
日は本 曜 醒 のはずだ から上 か
ら 4番 目 の文字 を指差せば 船
をかかな いことに愚 い至 った
。
ときは かなり嬉 しか った
日本 のカ レ ンダ ーは 横書き
、
、
の場合 日曜日を左端 ほ醤 く
すなわち 田躍 日から始ま るも
、
、
のが多 いが ヨ ーロ ッパ では
、
例外はあ るにしても 一通闇
は 月曜 日から始まる ことを知
っていた ので、本曜 日は当然
。
上から 4番目にな るわ けだ
リ エージ ュの家 に置 いてきた
、
鞄 の中にあ る J丁B社発行
、
の ﹁4カ国語自進自在 ・ヨ
︱ ロ ッパ編﹂には、 曜日と 月
の岳前が 一歯にな って朝 って
、
いる ので そ の本を持 って歩
いていれば こんな苦労を しな
< て済 んだ のほと 愚 っても後
。
の祭 り であ った
、
ちなみに フラ ンス語 で本
、
。
母 熱 でぁ る
躍 国は “
注文 した のは今 日 のラ ンチ
、
であるが 料理 の名前は分か
。
らな い
食 べ歩き の記録
ラ ンチ 9 ・SO C
ビ ール 4 ・20 C
。
3 0
約2300円︶
合計 4 ・7 C ︵
これま で3球 のレスト ラ ン
、
擦訪 の様 子を書 いてきたが
、
外国 で食 べ歩きをする際 には
行きた いレ スト ラ ンを探 して
行き 着 くま でが 難 し いことが
。
分か った
日本から持参 したガ イドプ
ツク の地圏は役ほ立 つが 一部
不正確な記載が あ る ことを顕
。
に入れ て歩< ことが 望ま し い
、
一番よ い方 法は ます現地
の観光案内 所 で地図を手に 入
、
れ 地図に書 いてあ る遇り の
名前を頼 りに目的 の店を探す
ことだ 。
、
理想的 な のは 現地 に住 ん
、
で いる 日本人に 地 元 のおす
すめ レスト ランに案内 し ても
。
らう ことだ
、
だが それはたまたまそ の
よ うな人が いる場合 に限 る の
、
。
で 一般的な話 ではな い
、
私たち の旅 の場合 リ エー
ジ ュに住 ん でいる小野澤夫妻
が 親 切に違 れ て行 ってくださ
った店が 2軒あ る。
ご 夫妻 と知り合 いでなか っ
、
たら こんな幸運はなか った
、
。
ので 感謝感激 である
次 の2軒は小野澤夫妻 に案
。
内 された店 であ る
り 正︱ジ ュの気 さ くな 居 酒 屋
店 の二 人 は名 物 お や じ ルケ
“
カ フ ェ ・ル ケ ”
〇や神︶
FonSoi
o
、
リ エージ ュ市内 にあり 居
、
題屋 の主 人 ルケお じさんは
、
名物おや じで この唐は地 元
の人と観光客 で い つも満 員に
なると ﹁ベルギ ー美食紀行 ﹂
。
に紹介 され ている
、
カ フ 正・ルケ の名物料理は
“プ リ ュ ,。プ リ ュとは、
大
,
き いミ ートボ ールあ るいは球
形 のハンバ ーグ とを えれば よ
、
く 古め の美味 し いソースが
。
かか って出 て<る
、
これ に フリ ッツ ︵フライ
ドポ テト ︶を添え て食 べる。
、
これを味 わえば も うリ エ
ージ ュ通 になれるとは、﹁ベル
ギ ー美食紀 行﹂から の引用 で
。
ある
ノ
車
雰囲気 の居酒屋
リ エージ ュの秘密 めいた
韻
﹁
地球 の歩き力 ﹂には リ エー
ジ ュのレストラ ン情報 の記載
、
。
が な い また ﹁ベルギ ー業食
紀行 ﹂にも この店 は紹介され
。
てな い
小野澤夫妻 ほ案内さ れなか
ったら、 “ ペケ ”
の存在を
知らす にリ エージ ュを離 れた
。
ことだ ろう
、
そ う憩 うと あらため て小
野澤夫妻 に感謝 の気持ちを捧
。
げたい
。
ペケとは酒 の名前 ア ル コ
6
ー ル度 数 は 3
度 のリ キ ュー
、
ルで 康料は大菱と ライ麦と
ぃ
のこと
“ ・
ュ・
ュ
ン
ゾ
ラ
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プリュとフリッツ
ヽ
(春号 )
第 31号
3月
2012年
ンゲステイ横浜 会報
ヨ
肋な 駒印脇 Lazr
今日のラ ンチ
グ ラ スに注がれた ペケ にバ
ーナ ーで決を つけ、 火が つい
た状態 のグ ラスから スト ロー
。
でこ の酒を飲む のだ
、
甘み のあ る と るりと した
、
昧 の酒 で 飲みすぎ ると足を
、
。
とられ る も っとも ど んな
酒 でも飲 みすぎ れば 足をとら
。
はぺヶ︶
左の写葛本
れるが ︵
最もト レ ンデ イな
パ ソ コン事憶
西分会 線 練 簿 2
最近 のパ ソ コンの進化は国
。
覚 しいモ ノが あります 基 本
、
ソフトそ のも のも ウイ ンド
e、 、
、
8
ゥズ 9 から M 紳 ビ スタ
セブ ンと 目まぐるしく変りま
した。業界 の覇者 マイク ロツ
フトもそ の足元から様々なウ
ェブ 上 の会社が 現れ、必す じ
も安泰 とは言われな い事情が
。
派生 し つつあります そ の代
表的なも のにグ ーグ ルや ア ツ
。
プ ルが あります そ の最もト
レ ンデ イなも のはクラウドサ
ー ス です。
ビ
スマ ート フ オンの普 及によ
、
り 据帯 電話 の形態が 大き く
。
変化 し つつあります 非常 に
、
便 利なも のですが パ ソ コン
ほど ハードデ ィスク の容曇が
。
あ りませ ん そ こでクラウド
。
の出現 です
、
クラウドサ ービ スの基本は
ユーザ ーが イ ンタ ーネ ツト上
のど こか にある ハードウ ェア
、
や ソフトウ エアを ど のパ ソ
コンでも スマート フ ォンでも
同 じように い つでも利用 でき
。 、
る こと です
、
さら に 共有と いう他 のメ
、
ンパ ーが デ ータを男たり 績
集 した りす る ことが でき るよ
。
うほなりま した 常 に マイク
密ソフト の後塵を拝 し ていた
、
。
マ ツキ ント ツシ ユ また 単
なる検索 ソフト の開発書 であ
ったダ ーグ ルに先を越 され て
、
はなら じと マイク ロソフト
も遅れ てウ ィンドウズ ラ イブ
。
を関発 し普及 して います
ここで紙 面の都合 上詳 しく
述 べるわけにはま いりま せん
、
が クラウド ︵イ ンタ ーネ ツ
ト の向 こう側にあるパ ソ コン
遷ご︶ の代表的なも のを い<
。
つか述 べます 興味 のある方
、
は検索 して 詳 じく使 い力 な
。
ど調 べてみてくださ い
の︶
ホ ームページ やプ ログ のよ
、
うに 面倒な作業は いらす 簡
単 に意想 の伝達が できる ので
。
便利に利 用され ています 政
治家 や芸能 人など のページ を
。
見る ことが できま す フ エイ
スブ ツクはアフリカ諸 国 の民
ツイ ッタ ーと フ ェイスブ ツク
SNS ツーシ ャル コミ
︵
ュニケ ーシ ョンの代表的なも
Gメ ール ︵単な るウ ェプ メ ー
、
ルと し てでなく 7 側 の容 襲
。
を うまく利用でき る 例 えば
動 画を送 るなど ︶
グ ーグ ルの持 つウ ェプ メ ー
。
ルです ワードと同 じように
、
使 えるドキ ュメ ントから画像
動 画など を ア ツプ ロード し て
。
メ ールで送れま す 私はも っ
。
ぱ ら これを使 っています
ドキ ュメ ン
スカイドライブ ︵
トや 写真を保存 できる︶
マイク ロソフトが 誰に でも
使 えるオ ンライ ンストレージ
、6
と して 2
鋼 の大 容 騒 を 提
。
供 しているも のです これ に
はます ウ インドウズ ライプ に
D を 取 得 しな け れ
登録 して ︲
。
、
ば なりません 同時 に ホ ツ
ト メール の新 し いメ ールアド
レ スを取得する必要が ありま
。
す 撮 った写真をア ツプ デ ー
トす るには、ウ インドウズ ラ
イプ フ オトギ ャラリーか ら
、
行 い ダウ ンロードはスカ イ
ド ライブ から できます。
3月 第31号 く
春号)
2012年
比例賀説り 協腕筋″秘 (httpノ
/hom,page2.n的
.com/bngstay―
yokohana/) ロ ングステイ横浜 会報
差化運動や アメリカ の大衆運
動 の先鞭を付けたと言われ て
。
います
エバ ーノートと シ ュガ ーシ ン
ク ︵クラウド の中 で代 表的な
フ ァイ ル保管サ ービ ス︶
、
エパ ーノートは何 でも ど
、
こでも い つでも簡 単に メモ
でき る ことを護 ったクラウド
。
サ ービ スです パ ソ コンのみ
、
ならす ス マート フ ォンから
。
も取り込めます 容 霞は毎 月
0B
6 M と ゃ や 小 さ い の で動 画
、
も ア ツプ ロード でき ますが
。
無理が ありま す
シ ュガ ーシ ンクは ﹁オ ンラ
イ ンストレ ージ ﹂と いうカ テ
。 B
ゴ リに分類されます 5 G
と
、
容 義は大き いのですが 画像
、
認識はな く 既存 のフ ァイル
。
を そ のまま保存 します
最近 のク ラウドは数 え上げ
れば 紋挙 に暇が な いくら いあ
。
ります 例えば
ポゴプ ラグ ︵
手持ち のUS8
をサ ーバ ー化し てクラウド で
利 用 でき るようにする︶
自 分専 用 のクラウドを構 築
。
す る ことが できます これ に
は 1万円少々 の機材を購 入す
。
る必要が あります 容襲 の制
。
限はな く使えます
キ ャッチノーツ ︵王バ ーノー
ト ほど高機能 ではな いが 、動
作が 軽 い︶
。
0B
無 料 で 7 M ま で使 えま す
ソフトを イ ンスト ールする必
要はな くホ ームペ ージ 上から
メモ帳拭わりに記入する こと
。
のでき るクラウド です
ビ ツグ ロープゲ ート β ︵
プラ
、
ウザ に機能が 組 み込まれ ス
マート フ オンなどと 共有 しな
が ら使え る︶
。
まだ 開発中と のこと です
ピ カサ ︵
写き桜じ
グ ーグ ルで提供 している画
、
像 動画専 用 のクラウドサ ー
、
。
ビ スです 共有 編集などが
。
でき ます 無料 のサ イトは 1
。
鋼 ま で保存 でき ます
、
旅先 で撮 った写真などを ハ
ードデ イスクが 小さく て保存
できな いと いう場合 に便利な
。
クラウド です 画像を いるい
。
ると加 工できます 共有 によ
ってメ ールで送信す る ことも
。
できます
グ ーグ ルク ローム ︵
グ ーグ ル
で出 しているプ ラウザ ︶
、
オ ープ ンソースな ので 有
志 に よる拡 張機能が 充実 して
、
いる ので ますます進化す る
。
可能 性を秘め ています
企 業向 け のクラウドサ ービ
、
スには セキ ュリテ ィを更に
強化 した高度なサ ービ スが続
、
々登 場し つつあり 多 < の企
。
業 で採 用され ています
グ ーグ ルが 開発中 の基本 ソ
、
フト ︵以 下 OS︶は ﹁ク ロ
ーム OS﹂と いい、 す べてク
ラウド で動かすようにな って
。
いるそうです 曽 通 のパ ソ コ
、
ンのように ソフトや フ ァイ
ルを保存する機能が ありませ
。
ん グ ーグ ルク ロームを 通じ
、
て クラウド上 にあ るソフト
を動か しフ アイルを保存 す る
。
、
のです 長所は凄 く早い ス
、
ペ ツクを最 小に抑えられ 消
、
費電力在食わな い パ ソ コン
本体が 安 く小型化されるなど
、
で 今ま でのパ ソ コンの概念
が す っかり変わ ってしま いま
。
す
このようにパ ソ コン内 のデ
ータを クラウドに保存 し てお
、
けば パ ソ コンが 故障 し ても
他 のパ ソ コンからデ ータを引
。
き出せます
、
ただ し 注意 しておかなけ
。
れば な らな いこともあります
ど のサ ービ スもデ ータ保存容
、
嚢 の制限や 対応 フ オー マ ッ
トなど の制限が あ る こと、 そ
、
れと最も重 要な のが サ ービ
スを利 用す るため のIDとパ
。
スワード の管 理 です これを
。
忘れ ると利用 できません 盗
まれ るとデ ータを保持 できな
。
くな り大変 です
ど のクラウド でも無料 の個
、
人間 けに言える こと ですが
デ ータ の保全は 保証され るも
。
のではな く注意が 必要 です
かく言う私もす べ てを使 い
こな し ているわけ ではあ りま
、
せんが 知 っている範囲 で最
近 のパ ソ コンの傾 向を述 べさ
。
せ て いただきま した
◇ ◇ 編集 後 記 ◇ ◇
、
今暑は LSY活動報告 の
中 で ﹁面白か った﹂と いう評
、
判 の中から 二 つな紙上 ア ン
。
コール版と してお届けします
、
0
ます 昨年 1 月 ﹁新 ニ ュー
ジ ーラ ンド の会﹂ での本郷台
分会 ・佐藤文嫡さ ん のク ルー
。
ズ 料金 308万円とあ りま
したが 、 1日当たりだと 3 ・
、
0日
4河円 で 一
これは通常 の 1
4
間 旅 行 3 万 円 と 同 程 度 で婚
。
ほ高価 と いう こと ではな い由
、
次は 昨年 9月 ﹁LSYサ
ロン﹂ での本郷台分会 ・太島
。
事 さんご 夫妻 のド イ ツ旅 行
最後 の ﹁パ ソコンの利用法 ﹂
、
の具体的内容紹 介は ﹁
さすが
パ ソ コン閣 好会 の優等生 !﹂
。
と感 心す るば かりです
、
最近 携帯 電話と スマート
フ オンの出荷台数が 日本 の人
。
口を超 したとか これに関連
し て、 西分会 ・小原博之 さ ん
に最近 のパ ソコン事情を解説
し ていただきま した。
最後は 戸塚分会 ・岡谷繁興
さ ん の軽 妙洒腕な文章 で楽 し
。
く拝 見 できる ﹁食 べ歩き 記﹂
、
それ ぞれ 寄稿 し ていただ
、
いた曽 さん 本当にありが と
。
うござ いま した
発 行擦任者 増 測建次郎
編 集 。LSY編集 委員会
︵五十首順︶︵
敬称艦 ︶
伊藤佐 江子 ・岡谷 繁興
田部井 達